本当かな?……..本当だとも

ルネサンス時代に描かれた絵を見ていくと、背景に 2000年前の遺跡が横たわっていたりします。

その当時、遺跡風に庭を飾る、というのがはやりました。人々は2000年前の、半分に折れたような円柱や、ボロボロのレンガを取ってきたりして、自分達の庭を飾っていった。遺跡を見るというのは、少し日常的な雰囲気から脱します。
フランツ・リストって、ハンガリーの作曲家、ピアニスト、でしたね。彼は、荒れ果てた カラカラ大衆浴場の遺跡内をさ迷い歩くのが、大好きだったといわれています。さぞかし素晴らしいインスピレーションを、得たことでしょう。

こういうお庭作りを、人々は、Roma Antico と、呼んでいきましたが、この二つの言葉がはやくなまっていって、そう、何と言う言葉が生まれてきましたか ?

次は、S. Pietro サン・ピエトゥロ広場の真ん中に立っているオベリスクです。
2000年前は、現在のS. Pietro大聖堂の左側に立っていました。それが、現在位置に運ばれてきたのは、1500年代です。

運ぶ作業は、船乗り達がしました。
広場の真ん中まで運んできて、ソロソロソロソロ、ロープでもってあげていきます。ローマ教皇を始めとして、民衆は カタズをのんで、見守っていましたが、その時、ロープが切れそうになったのです !!! ローマ教皇があらかじめ、声を出したら 死刑にする、と民衆に言っていましたから 、彼らは声も出せず、髪の毛は、逆立っていた事でしょう !! 声を出させないというのは、船乗りたちの気を散らさない為だったのです。
で、切れそうになったものだから、皆 もだえ苦しみながらも、かたずをのんで見ていたら、ロープの近くにいた一人の船乗りが、「 ロープに水を !!」と叫んだのです。船上での知恵なのでしょう。
すぐに水がうたれ、ロープは切れずピーンと張り、無事にオベリスクが立った。

さて声を出してしまったら死刑、という事だったので、民衆は、又々緊張して、ローマ教皇の言葉を待ちました。

ところが、教皇は 「よくやった ! ほうびをあげましょう」といったのです。で、船乗りは、「 イースター一週間前に、イエスがロバの背中に乗り、エルサレムに入場しますが、その時に 人々は『ホサナ、ホサナ』と叫びながら、シュロの葉を地面に敷いて、歓迎します。その大切な日を私達は毎年祝いますが、その時にバティカンが信者達に配るオリーブの小枝を、 私の家から購入していただいて、よろしいでしょうか?」とお願いをして、許可をもらったそうです。今でもGenova にあるこの家系は、安泰だとか。いいですね、良い先祖を持つと、子孫が得をするという….