夫婦の棺について

発掘されてから今年春ちょうど140年になるという、夫婦の棺をご存知でしょうか。
古代エトルリアの重要な街であった、ローマ北40キロにあるチェルヴェテリ注1にある ネクロポリから出土したものです。 現在は、ローマのヴィッラ ジュウリアにあるエトルリア博物館注2に保存されています。

あまり知られない古代エトルリア人について、今日は少しお話しましょう。
古代エトルリア人の歴史は現在よりも3千年遡ります。
現在もエトルリアと呼ばれる、フィレンツエの街を流れるアルノ川とローマの街を流れるテヴェレ川に挟まれた地域に、沢山の古代エトルリア人が作った街がありました。
例えば、ヴェイオ、チェルヴェテリ、タルクイニア、ヴォルテッラなどが有名ですが、フィレンツエも、ポンペイもまたマントヴァも実はもともとエトルリア人の街でした。
エトルリア人たちは南北に勢力を伸ばして行ったからです。
古代ローマのように大きな統合国にはならなかったのが特徴ですが、
古代ローマ人たちにエトルリア文化を伝え、古代ローマに征服されていきます。

この夫婦の棺は、チェルヴェテリのネクロポリのひとつ、バンデイタッチャで見つかったものですが、パリのルーブル美術館にも非常に似たものがあります。違いは、ルーブル美術館のものは、時代的に何十年か新しく、色が残っていることです。

もちろん、こんな棺を焼かせることができるというのは、もちろん夫婦は身分の高いアッパークラスに属する訳ですが、実はこういった棺はリサイクルして使われたそうです。

今はあまり色が残っていませんが、テラコッタで焼かれたこの彫刻は多彩色であったことが分かっています。発見されたときには、なんと462以上の破片であったもので、それを組み合わせ、足りない部分は付け足されています。また内部は鉄製の金具で補強されています。

特徴として、彼らは寝そべった格好で宴会をしています。ですから、ご主人は盃を奥さんは香油の入った入れ物を持っているそうです。古代ギリシャやローマではご婦人は宴会に出席できなかったので、古代エトルリアの女性は非常に社会的な地位が高かったと言われています。ちなみに、この棺は紀元前6世紀のものです。

棺に入っていたのは、埋葬されたものだったのか、火葬されたものだったのかは、はっきり分かっていませんが、おそらく、火葬されたものだったのではと言われています。

*注1 チェルヴェテリの街の外れには沢山のネクロポリがありますが、その中で一番有名なものがバンデイタッチャのネクロポリです。柵に囲まれた部分が10ヘクタール、柵の外に230ヘクタールという大変大きなもので、ユネスコの世界遺産に指定されています。

*注2 この夫婦の棺が保管されているヴィッラ ジュウリアは、1500年代の法王ユリウス3世が作らせた素敵な郊外のお屋敷です。お屋敷の設計にはあのミケランジェロも参加しています。