そぞろ歩き(アイネイアス.. Enea)2021年4月24日

。。。遂にネタが切れました !

まだあることはあるのですが、プライバシー侵害の領域に入っていくので、この辺でストップした方が、賢明です。又何か思い出せたら、ガイドはつらいよ~で、載せましょう。しかし、変異ウイルス(日本では、株ともいうらしいですね)も、しつこいですね、負けてはいられない !!

今回から、ガイドはつらいよに代わり、” そぞろ歩き” と題して、今までどおり軽い感じで、ガイドがしゃべりそうな話し等々を投稿する予定です。時には本筋から離れるかもしれませんが、そう思って、”そぞろ歩き”と、つけました。

そぞろ歩き….. には、神話と考古学( という事は、実際にあった ?! ) の境目も度々出てくるかと思いますが、そうなるといろいろな説があって当然ですから、あまりこだわらず、肩を張らないで、寝っ転がって読んでいきましょう。本当は、考古学と神話の境目なんて、ゾクゾクするほど、面白い面がありますよね ( え、感じないって ? … 大和は くにのまほろば…..から、はいっていくのってダメ ?…. )

私は専門家ではないし、非常に残念ながらラテン語を読めないので ( 子供の教科書で、子供と一緒に学ぼうと元旦に決意したものの、ラテン語はおろか、イタリア語文法も、物に出来なかったという, 1年の計は元旦で終わるタイプ )、範囲が非常に狭まってきますが、分かっている、又は自分だけがわかったつもりになっている、事を述べていきたいと思います。

アイネイアス… Eneaエネアこの英雄無しでは、Romaを語れないので、Italia ではEneaと呼ばれている、日本ではラテン語や古代ギリシャ語からの名前を直接にとって、アイネイアスですか、少し触れていきたいと思います。

トロイア戦争(ギリシャ人達が、木馬の中にひそんで、トロイアの街の攻撃をうかがい、勝った)でトロイア側で戦ったトロイアの英雄 Eneaは、戦いに敗れて、お父さんの Anchise ( アンキーゼ、日本では何と呼ばれる ? 面倒くさいので、必要に迫られたら、Eneaの父さんと呼ぶ事にします)と息子の Ascanio ( アスカニオ、 ここでは、Eneaの息子と呼ぶことにします ) を連れて、逃げ出していきます。

そしてあちらコチラをさまよい、戦い、最後にLazio の海岸 Torvaianica ( Romaより南へ、40km弱降りる ) に、ブロンズ時代(紀元前3400年~紀元前600年)に、その当時よく造られた船で、上陸したと、言われています。時代は紀元前12世紀位です。彼の乳母であるCaietaがこの地で死亡し、彼女を埋葬した場所が、やがてGaetaと呼ばれていくようになりました。上陸したのはEneaと息子で、父さんは、どこかでもう亡くなりました。

Eneaは、その地に町を造り、この地の王の娘と結婚をし、ここから、代々と子孫が続いていって、Roma建国の伝説者RomoloとRemoロムルスとレムスに繋がり ( ロムルスが第一番目の、古代ローマの王になったが、Eneaから数えて何と15代目なんだそう !!! ) 、そしてまだまだ子孫が続いていき、ジュリアス・シーザー、シーザーの養子アウグストゥス ローマ初代皇帝(シーザーの妹の娘が生んだ息子が、アウグストゥスなんですって )と、繋がっていったのです ( 真面目に言っているのかって ?….. マア一応…..) あの、全然根拠が無い、というわけではないのです。

あの当時というと、2007年(紀元後)ですが、その当時のFrancesco Rutelli文化財大臣が、声を震わせて記者会見をしたのですが、Palatino の丘に、アウグストゥスローマ初代皇帝の家とほぼ推定されているそこの庭の16m下で、小洞窟が発見され、美しくモザイクが貼られている所から、一種の神聖な場所として、人々がお参りしていたのではないか ( 人々というのは、アウグストゥス皇帝時代よりも、もっと前の人々 )、つまりあの有名な伝説、” 洞窟の中で、ロムルスとレムスの双子の兄弟は、メス狼によって育てられた ” というローマ建国の伝説の一節が生きてくるのではないか、という推定だったんですが、いかんせん探索機の極小カメラを おろしていったので、発見できたものの、中に入るのは、不可能だが、何とか考えてみたい、というような内容で、アウグストゥス皇帝がその洞窟の上に家を建てたのは、まさに自分は、ロムルスの子孫であるということを、強調したかったに違いない、とマア、センセーショナルな記者会見と、Rutelli 大臣は自負していたみたいです。

話しは元に戻って….. Eneaと父さん、息子の3人の逃避が、彫刻や絵画作品として、博物館・美術館に展示されています。Borghese 美術館に行ったらどちらも見られます。彫刻としては、あまりにも有名な Gian Lorenzo Berniniの作品が 目立ちますか、そして2階(日本式に言って)にあがったら、Federico Barocciの絵画で、見てみて下さい。

Eneaの父さんは、ヴィーナスと恋におちいり、神である彼女との結婚を誇らしげに話したので天の神ゼウスが怒り、罰として雷をEneaの父さんに向けて放ち、父さんをびっこにしてしまいました。だから、Eneaは逃亡の際、父さんを肩に乗せたりして、歩かせないようにしています。

Federico Barocci(1535~1612)は、家族、親戚が皆アーチストという中で育った。ひいおじいさんは彫刻家で、Urbinoにある、有名なドゥカーレ宮の装飾を手がけ、お父さんは、時計職人で、宝石に彫刻も施し、やたら細かい素晴らしい技術持ち、叔父さんは、建築家で、Guidobaldo II Della Rovere (この公爵の顔を見たかったら、Firenze のPitti宮に行って、Bronzinoが描いていますから、見てください)の下で、建築家として働き、Federico 本人もこの宮殿を度々訪れて、公爵がコレクションをしたオペラ作品に、親しんでいたらしい、例えば、Tizianoだとか。という中で育ったので、これでどうかならなかったら、本人の資質が絶望的だったといえるかも。

で…… この英雄Eneaのお母さんは、美の女神ビーナスでしたから、シーザーの先祖は、なんと神様だというので、シーザーは、Romaにある Foro RomanoのそばのForo di Cesare ( シーザーのフォロ) にビーナス神殿を建て、王朝を始めようとしましたが、暗殺されて、実現しなかった。

古代エジプトでは、王様は、生存中から神格化されていきましたが、古代ローマの世界では、シーザーよりももっと前にいた古代ローマの王様達でさえも、神に仕える忠実なしもべと考えられ、神格化されなかったので、古代ローマの世界では、シーザーから、神格化が始まっていったと、言われています。Foro Romano 遺跡の真ん中あたりに、シーザー神殿があります。シーザーは、古代ポンペオ劇場の玄関口で暗殺され、遺体をどこで火焼したらいいかと、あちらこちら運ばれ、最後にこのForo Romanoの、将来シーザー神殿が建てられる場所で火葬されました…..

そしてその横に、ヴェスタの神殿の遺跡があります。円形屋根で円の中心には、煙を出す為の穴があいていた、小さな円形神殿だったわけですが、そこで、巫女たちが絶やさないようにと守っていたのが、聖なる炎だったのです。その炎は、Eneaが持ってきたのだそうです………. そうすると…. シーザーの火葬が、ヴェスタの神殿のそばで行われたのも、偶然ではなかったのか ?…………