そぞろ歩き(Nemiネミ湖)2022年2月26日土曜日

Romaから南へ 26km位 アッピアアンティカ街道を下っていきましょう。Aricciaアリッチャの町が あるかと思います。この町を作った人は、古代ギリシャ神話に出てくる 、ある英雄(Teseo )の息子だなんて、この土地のおじいさんでも知らない人、多いのでは ないかしら…..アッピアアンティカ街道の、ローマから出て 最初の 休憩所 だったらしいAriccia。あの有名な アリッチャの 大橋の下に、アッピアアンティカ街道の名前も残っているアッピアアンティカ通りが 走っています。何ですって ? Aricciaのポルケッタ(子豚の丸焼きをスライスしたハム )の話をしないのかって ? …… アッピアアンティカ街道に夢を託していると、子豚の丸焼きを書こうなんていう発想がわいてこないのですが………まあ ポルケッタの始まりは古いらしく、古代ローマ以前かららしいので、アッピアアンティカ街道の最初の休憩地点で、人々は たぶんポルケッタを パクついていた事でしょう…..

もう少し アッピアアンティカ街道を先に歩いていって、やがて 内陸部に折れると、Genzano di Roma ジェンツァノ ディ ローマ という 先ほどのAricciaよりは、少し大きな町がある。この町の背後に、丘々に囲まれるようにして、少し下っていった所に、ひっそりと 小さな小さな湖があり、それが ネミ湖です。湖の長さが1,5km位ですから、だいたいの大きさの検討がつくでしょう。

Genzano di Romaから ネミ湖を見下ろすと、その向こう側のうっそうと繁った 丘だか崖だかの上に、ネミのborgo も見えています。ネミの名前の由来は、ラテン語の ”森” からきていると 言われているらしいが、イタリア国中 森は沢山あるだろうに、何故ここに この名前が残っているのか…….

ローマからも近く、古代ローマ人(のみならず 現代人も)は 息抜きにやってきたり、避暑の為の別荘を持っていたりもしたことでしょう。

その湖のそばにある森は神聖な場所として、古代ローマの女神 ディアナに捧げられていた 聖域でした。そこに 彼女に捧げられた神殿があったのですが、それはそれは大きな建築物だったようで、高さも何メートルもあったと、言われています。

ディアナは 古代ローマの女神で、野生動物・泉・川・そして女性の守護神でもあったと言われ、従って お産の苦しみを和らげる神でもあり、狩猟・処女・アーチでもってのやり投げ・森林・月、の女神でも ありました。

この湖は 小さく、周囲は丘や崖になっている 、要は、盆地みたいな 谷間の底にあるので、風もなく 波もたたず、常に静かでしたから 、目をつぶって 想像してみると…..夜になると、周囲が高いので 空がとてつもなく高い所にあるような気がし、自分は、ずいぶん底にいるような……湖は 波もたたず、鏡のように滑らかで、月の光が、湖に 光を 投げかけているさまは、神の領域にいるような神秘性を 感じさせた事でしょう…….

月は、ディアナだと言いました、だから 、湖に映っている月…. ディアナ….. そう、 ネミ湖は、ディアナの鏡とも、呼ばれていたようです。

彼女の双子の兄弟は アポロでした。彼は 太陽神だから ディアナと 対( ツイ)になりますね。アポロは その他にも、予言・医術・疫病・音楽・弓術・人間の知的活動、等の守護神でしたから、この2人で、人間と人間を取り巻く環境は、守られる事になるようです。

ネミ湖のそばにあるこの聖域は 、古代ローマでも代表的な場所の一つだったようです。メッカみたいな感じもあったに違いありません。ディアナと、実はもう1人、古い古い昔から ここに 祭られていたのが、妖精 Egeria エジェーリア です。彼女は、この地に古くからいたLatina民族が敬っていた女神で、水や安産の守護神でした。

ネミ湖から15km位離れた所の Albano湖(Eneaの息子が住み着いた場所だと、以前言ったかと思います)から、ネミ湖に水が流れてきますが、唯一わき水となったのが、Egeriaの泉と呼ばれて、今もネミ湖のそばで健在です。

元々 Egeriaや、同一視されるかのようなディアナに捧げられた小さな祠(ホコラ)があったのが、段々と 発達していって、 大きな神殿・聖所になったのかもしれません。多くの女性達がやってきて、Egeriaに、それ用に造られた浴槽の中で、ぬるま湯(Albano湖は、火山湖でした)に浸かりながら、お産する事を願ったり、安産を願ったり、安産を願う小さな人形を置いていったりしたと、言われています。古代ローマの世界では お産は難しく、10%くらいの 女性は亡くなっていたのだそうです。

ポルケッタの屋台もあったのかって ? …….又々 夢を壊すのかね、皆さん….. もしかしたら 聖域だというので、そういうものは 聖域の入り口にでも、あったのかな…… ?…… それとも、食べるの禁じられていたのかな…..?

古代ローマの2番目の王様に、Numa Pompilio( 紀元前 753 生 – 673 没 )王がいますが、Egeriaは、彼の恋人だったと言われています….史実だったのかって ? …… どこまで真面目にやっていいものやら…… 伝説によると、Numa王が 亡くなったので、Egeriaは 泣きに泣きます。そうすると ディアナ神殿の運営にも支障がおきてきたので、ディアナは Egeriaを、泉に変えました。

この聖域は、200m x 175m という広さで、紀元後3世紀頃まで、巡礼者達がやってきたんだそうです。そして キリスト教が広まっていくと 段々廃れていき、後は 草がホウボウ、大理石などが 乱暴に はぎ取られて 、どっかに運び去られていったようです。本格的に発掘をしたら、まだまだ いろいろな物が埋没しているに違いないと、言われています。

巡礼者達の宿泊所や 寄贈保管室、浴場、劇場まで、あったそうだから、女性のヘルスセンターとして、実際に賑わったのかしら。

17世紀から 地元の貴族の手で、発掘が 始まりましたが、その後、考古学の愛好者や 外国人の考古学者達が 続けて発掘を行っていったので、出土品の彫刻などは、世界の博物館に散っていってしまったようです。Museum of Fine Arts (Boston)、ペンシルバニア大学博物館、Nottingham Castle (グレート ブリテン)、Ny Carlsberg Glyptotek (デンマーク)…………… 情けない……
かろうじて イタリアでは、この遺跡の近くにある il Museo delle navi 、i musei di Villa Giulia (Roma) に、展示されています。

(続く)