。。。マリウポリの、Azovstal ( 読み方がもう一つわからない。日本からのニュースには、アゾフスターリと ローマ字読みで書いてあるが、ある発音を聞くと エゾストと聞こえる….ので、ここでは Azovstalにします ) での兵隊達の状況が 一歩進んだ、のかどうか知らないが、とりあえず Zelensky 大統領が述べている ”生きている英雄達”でないといけない、 の観点からの話し合いがなされ、新しい段階に入っていくようで、やれやれ ホットします、が、まだ 製鉄所の地下には、700人 (この数字もよくわからない )が残っていて、余談は許されない状態です。今回 Azovstal の抵抗を投稿したかったのですが、ニュースの整理が 間に合わなかったので、次回にします。ともかく 新しい展開に入ったようで、一応 良かった !! 。。。
。。。最初の そぞろ歩き( Nemiネミ湖)は、2月26日付けで、投稿しています。。。
もう一つ ネミ湖が世界的に有名なのは、古代ローマの船が、展示されている事です。湖のすぐそばに il Museo delle navi romane ( 古代ローマ船の博物館 )があり、見ることができますが、閉館している場合も多いので、事前に 確かめてください。
カリゴラ ローマ皇帝時代 ( 紀元後1世紀 ) の船と 推定されていた 2隻の船が、ネミ湖の底に 沈んでいました。この船は 宴会用で、船上で 人々は、パーティーをしていたと言われているようです。
船は 、たぶん嵐が原因なのかどうか、ディアナに捧げられたのかどうか、とりあえず ?! 沈没してしまったという説があり、沢山の貴金属、宝物を積んでいたと言われ、地元の人々が 語り継いでいったようです。時には 漁師達が潜って 宝物か何かを 引き上げたようで、土産物みたいな感じで、 当時の観光客に 売っていたりもしたようです。 水深 33m。
それから現在までの2000年間に、イタリア国は、どういう方法でもって、沈んでいると思われる物を 引き上げようとしたのか、興味がありますね…….
ネミ湖の上にある Genzano di Roma (これから Genzanoジェンツァノと呼ぶことにします。 )は、中世時代、幾つかの貴族に支配されていましたが、1422年に、 Colonnaコロンナ家が Genzanoと ネミ湖を 支配するようになりました。それから 又 支配者が代わったり戻ったりと忙しくなるのですが、コロンナ家出身の 枢機卿が、その当時の有名なLeon Battista Alberti 建築家に 船の引き上げを 依頼します。何しろ コロンナ一族は、MartinoV ローマ教皇 ( 在位 1417年~ 1431年 )も出したくらいの、飛ぶ鳥を落とす勢いの家柄でしたから、超一流の 建築家に頼めたのでしょう。
その建築家は、数人の潜水夫 を Genovaの街 ( 建築家の出身地 )から呼び寄せて 、2隻の船の内、岸に近い方の船を 調査させましたが、それにしても建築家ですから 、 水深や 岸からの距離を 測ったりしたそうです。潜水夫達に、ロープや 鉤カギ( 物に引っかけて 引いたり止めたりするのにつかう。ピーターパンの海賊親分が、手がなくて 代わりにくっつけているのがそう。)で、 平たい台を引き上げようと、試みたりしたそうです。
ルネサンス時代 (1500年頃 )から 真面目にこの伝説が取り上げられ ていったようです。1500年代というのは、カタコンベ発掘、暴君ネロ皇帝の黄金宮殿に ラファエロが降りていって、素晴らしい壁画を見つけた、カラカラ大衆浴場発掘 等々…..人々は考古学的興味と共に、 古代ローマの彫刻などを発見して 自分の物にしたいという欲望も、盛んに出てきた時代でした。
1535年、* De Marchi が、何回かの潜水を 試みました。技術者らしく、Da Vinci とまでは いかないものの、彼なりに 潜水用具を 工夫したようです。人間の上半身を覆える位の大きさの木製の鐘形を造り 、それに小さな ガラスの小窓ももうけ、それでもって上半身を 覆っていたが、手足は自由に動けるようになっていて、呼吸も出来るようになっていた……何となくわかるような わからないような…..この時期、曲りなりにも潜水服を思いついていた Da Vinciは、こういう計画を、面白いとは 思わなかったのかな ?…. 何をしていたんだろうか ……..失礼、Da Vinciは イタリアに 愛想をつかして フランスに行ってしまったのが、1517年だったんだ….という事は、Da Vinciが考えていた潜水服は、彼が 書いた メモノート ( il Codice ) の中で 眠っていたんですね…….
*Francesco De Marchi….1504年生~1576年 没 。軍の分野での 登山者、洞窟学者、技術者。彼が 初めて アペニン山脈の グランサッソ ( あの辺りでは 最も高い山 で、2912mの高さ )に到達したと、記録に残っている。
1827年に、又々 挑戦した人が います。Annesio Fusconi が、大きな釣り鐘形の中に入り、ポンプで空気が送られ、小さな窓があって外を見れるようになっていて 、要は 釣り鐘形のエレベーターで降りていくような 感じで 底に降り( * Halley の釣り鐘といわれている )、大理石 , モザイク , 金属の柱の断片, 釘 等を引き上げ、スーベニールとして 売ったりもしたようですが、悪天候になって 作業がストップしてしまい、引き上げた物は 盗まれたりしたので、Fusconi は作業を断念したようです。1839年に、彼はローマで ” ティベリウス ローマ皇帝の船の、考古学・水力学 メモリー” を、出版しました。
船が大きすぎる事に気がついたのは 1800年代終わりという…長さが 70m位もあったそうです。
あれこれあれこれ いろいろな案が提出され……(もう書けない)…. 、1928年に、湖の水をなくしてしまおう…….ポンプで排出しよう… ポンプ製作…..
1928年10月20日に、ムッソリーニ立ち会いの下、湖の 水の排出が 実施されました。1929年9月17日 、第1番目の船が 姿を現し、1930年1月末に、2番目も姿を現しました。
武器 , 硬貨 , 装飾品 , 工具 , 漁業用の網 , 鍵 等など、まあ 出るわ出るわという感じだったのでしょう。工事も、費用がなくなって中断したり、新たなポンプを造ったり、再開したりと、いろいろ苦労したようです。
第二次世界大戦中、その博物館が避難場所として 使われたので、その中にあった 組み立てられていた古代ローマの船が 解体されて、薪として使われたりしたそうです。
2000年前 の人は 偉かった….娯楽の為に これだけの船を 造るなんて、まあ我々も クルーズ船で、古代の人に迫りましょうか …
ここで 、私としては、1つの疑問がわいてきます……神聖なディアナ神殿のそばにいましたよね、私達。何しろ 神域とも呼べる地域に入ってきたのですから、敬虔な気持ちです……と、歌声や楽器が 奏でる音が……風にのって 聞こえてくる….. ざわめきも聞こえる、下手すると、酔っぱらいの叫び声も 聞こえてくるかもしれない…..そんな事って あるかしら…..サン・ピエトロ大聖堂のそばに、乱痴気もあるような宴会場所があるようで、信心深さなんて….. 集中力が わいてこないんじゃない ?…….ディアナ神殿の巫女は、怒らなかったのかしら…..それとも そういう神聖な場所と 、神に捧げる何とかやらで、両方が密かに 繋がっていたのかしらん…..
Nemi湖は 秘密っぽい 狭い隔離されたような場所だから、こういう船を浮かべるということは….. ネミ湖の近くにある アルバーノ湖はもっと大きいが、そういうことがあったとは 聞いていないし……ディアナ神殿と 宴会用の船が同じ所にあるのは 偶然かな ? いやそうじゃない、神殿と船とは、何らかの意図で 繋がっていたのではないのか….そうでないと、巫女達や 信者達が 「 やかましい !! 」と、怒鳴っていたかもしれないじゃないか …..井戸端会議で 鍛えられた頭脳は、果てしなく 広がっていきます…..
又は、この船の上では、音を出してはいけないとかの規則があって、音楽も奏でられなかったのではないのか ?……. ローマの国立ローマ博物館の中に、この船の装飾品などが展示されているが、もしかしたら楽器関係は無いのかもしれない……. そこまで注意して見ていなかったわ….. 音無しパーティー….. そうして皇帝やごく少数の人達がやってきて、巫女たちと静かに密かに会っていた…. それは黙認されていたのだが、ある夜に、巫女に恋をした一人の男性がそういう事を許せず、 火をつけて船を 燃やしてしまった….. !!! そうですよきっと ! これが、船が 沈んでしまった 真相です ………
最後に イチゴ祭りにも触れないと 土地の人に 怒られてしまうわ !
6月の最初の日曜日に、1922年から続いている イチゴ祭りも 大変有名です。
ネミ湖は、盆地の底にあるようで、そこだけ 湿気大で暖かいという気候、又 ネミ湖周辺と比べると 温度が低い、それが何世紀にも渡って続いてきたので、独特なそこだけの気候が生まれ、花々 ( 湖の上にある Genzano では、6月に 花のターペットが 、坂道のてっぺんにある 教会から 下の広場まで 敷き詰められる お祭りが あって世界的に有名です )、又は イチゴの栽培に、効果をあげてきました。
祭りの日は、伝統的な衣装を付けた土地の少女達が 練り歩くのを見ながら、無料のイチゴ ( 行く人で 無料かどうか気になる人は、確かめてください )を つまみましょうか ! このイチゴから、お菓子・ケーキ・リキュール酒・ビール !まで作られるとか。
(終わり、は 旅の始まり !)
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