Romaの、テーベレ川沿いにある 聖天使城の前に かかっているこの橋は、なかなかの人気者です。Jasga制作の、「 Romaで、皆様をお待ちしています !」のビデオでも、見えてましたよね。イタリアのTVドラマだって、夜(の方が、一般の人がいないので、たぶん撮影しやすいのでしょう)の場面で、良く出てくるのです。古くは、「 ローマの休日」の映画にも、撮影されていました。石の階段を下りていくと、お舟の上に造られたダンス会場があり、夜空にくっきりと、聖天使城が、浮かび上がっていました。
もともと、この橋は、聖天使城に 渡る為に造られました。灰色がかった火山岩の一種のペペリーノ岩で造られ、化粧岩として、トラバーチンの石で、おおわれていました(紀元後134年)。
中世の時代から、巡礼者達が、サン・ピエトロ大聖堂に行く為に、渡っていきました。
やはり大多数が行き来するので、二車線に分けられ、途中で止まってはいかん、という規則が出来たそうです。。。古今東西 考えることは、皆同じ….. 現在の美術館でも、こんな感じの 鑑賞方法がありましたか…..。。。
1300年から、聖年が、始まります。その年に、信者達は 巡礼者となって ローマへ行き、何ヵ所かの教会を巡り、ローマ教皇から、「 貴方の罪は 許された 」という証書をもらえるという年です。フランスの方からも、アルプス山脈を越えて 裸足で !!! サン・ピエトロ教会 ( 第一回目の教会も、かなり大きかったようです ) まで、巡礼者達は、やって来ました。古代ローマ街道も、大いに利用されたみたいです。最初は、50年毎に、そして1400年代終わり頃から、25年毎に、なっていきました ( 経済促進も あったのかな ?)。
これだけの人々が渡っていくと、やはり悲劇も 起こるようです。1450年の聖年に、 Barbo枢機卿のラバが、雑踏に 驚いたのか 暴れだし、大混乱になり、橋の脇の欄干が崩れ、多数の巡礼者達が、川に落ちて、死んでいったり、人々の下敷きになって死んでいったようで、一説には、172人、又は 300人以上が 亡くなったと、記されています。
1536年、カール五世 ( Read more