そぞろ歩き(テーベレ川氾濫) 2021年11月18日木曜日

ローマの街の中を 流れているテーベレ川….本当は河の方がいいのかもしれないが、伝統的に川という漢字が使われてきたので、川にします…… 川というか、水というか、本能的にそういう 物を見ると (海の場合は なおさら)、我々の原始的な神秘的な部分に戻っていくような…..飽きもしないで見つめられる……ローマ観光って、この川の存在で、ずいぶん得をしているのでは、ないでしょうか ….

現在のテーベレ川を見ると、土手があって草が広がり、柳の木が 枝を垂れているような、そのような光景は 少なくとも街の中心部には、ありません。なんだか川というよりも、水路、と 受け取った方が いいような、冷たい感じが、しなくもないですが…..

ただ、現在の堤防が 造られる以前 (1870年 に計画され、長い間かかって、完成をした )は、どうしようもなく、氾濫に次ぐ氾濫を 繰り返していた テーベレ川でした。特に 土地が低くなっている地帯….パンテオン周辺など、洪水になった時は、パンテオンの中で、小舟をこいでいるスケッチ画が、残っているほどです。Circo Massimoや、Foro Romano 等も、水びたしを、免れませんでした。

死者、行方不明、建物の破壊…..水が引いていく時には、泥が、ヘドロが残り、伝染病、特に チフスを、引き起こしていった様です。この残った泥、瓦礫(がれき)、破壊された家、などで、ローマの地面も、高くなっていきました。今でもその段差が わかるのは、Largo Argentina でしょう。紀元前の神殿の遺跡が並んでいますが、その遺跡のある場所が、2000年前の土地の高さ、その遺跡の一ブロック向こうに、テーベレ川が 流れているわけで、度々の洪水で、中世の時代には、もう現在の私達が立っている場所が、土地の高さに なっていったようです。

街を歩いていると、所々 、文字が刻んである小石板が、建物(ローマは、1300年代から、1800年代の建物で埋まっています)の壁に貼ってあります。例えば、S.Eustachioサンテウスタキオ教会(パンテオン周辺)の 近くにも、「 1495年、アレクサンダー六世教皇の3年目に、洪水が起こり…..」と、記されています。洪水時の 最高の 水の高さは、20mにまで達したといわれ ( 20mというと、コロッセオのそばにある コンスタンティヌス皇帝に捧げられた凱旋門と同じ高さ Read more

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