そぞろ歩き(もう一人のイタリア人)続き 2021年12月21日火曜日

Tiziano Terzani

特派員、作家 (1938 生 ― 2004 没 66才 )

「 アメリカ人達は ヘリコプターで逃げ、ベトナム人達は、我々を攻撃し、アメリカ大使館は、ものすごい混乱の中にあった。あの夜、私は 歴史を感じた。最初の戦車が 街の中に 入ってきた時、そして 最初の軽トラックが 、反乱軍の兵士達を乗せて入ってきた時、ベトコンが、” Giai Phong ( 自由解放 )!!! ” と 叫びながら 入ってきた時、私は まさに 歴史だ !!! と 骨の髄まで感じた。私は泣いた。戦争が終わったというだけでなく、歴史を痛切に感じたからだ。これが 歴史だ。実際に 30年後に考えてみると、あの日以来、インドシナの歴史が 変わったのだ。」…..「 La fine e’ il Read more

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そぞろ歩き(もう一人のイタリア人) 2021年11月30日火曜日

Tiziano Terzani ティツィアーノ テルツァーニ特派員、作家 (1938 生ー 2004 没 66才 )

。。。アジア諸国の特派員をして、歴史の一証人(嘘を書かないようにするためには、何が何でも危険をいとわない!! ) になる事に生き甲斐を感じた彼の生涯に、興味を覚えました。しかし、ビックリ ! 日本にも、すごく知られていた彼だったのですね…..彼の事をもう知っている人も多いでしょうが、知らなかった私に どうぞ、付き合ってください。。。

Firenze生まれ。父親は パルチザンで 共産党、母親は カトリック教徒という家庭に生まれました。病弱だったので、両親は彼の健康を心配し、アペニン山脈の Orsignaで 静養をさせたのですが、その土地が生涯を通して、彼が帰っていく場所になったようです。

ドイツ軍が 退却をして、 Firenzeの街が 解放され、彼は小学校へ 通い始めます。

高等学校入学を、教師は両親に強く進め、両親は 学校に通うための ズボンを月賦で購入して、入学させます。。。月賦でズボン購入なんて。。。

いろいろな友人や教師に恵まれ、彼は成長していきます。アルバイトで、ある新聞のスポーツ欄を担当する事になり、記事に載る自分の名前、新聞記者に与えられる特等席、等も、17才の彼にとっては、新鮮な喜びになった事でしょう。

高等学校卒業証書(il diploma) を手に入れて、銀行員という輝かしい職業の就職話が飛んできますが、彼は断ります…..「 引き受けるという事は、自分は市民的に死んだも同様だ」、というわけらしい。。。銀行員の方、気にしないでね、彼の考え方が絶対だと 言っているわけでは、ありませんので。。。もちろん 両親は 大反対、何のためにズボンを月賦で買ったのかと 思った事でしょう。

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