そぞろ歩き(聖天使橋)2021年10月29日土曜日

Romaの、テーベレ川沿いにある 聖天使城の前に かかっているこの橋は、なかなかの人気者です。Jasga制作の、「 Romaで、皆様をお待ちしています !」のビデオでも、見えてましたよね。イタリアのTVドラマだって、夜(の方が、一般の人がいないので、たぶん撮影しやすいのでしょう)の場面で、良く出てくるのです。古くは、「 ローマの休日」の映画にも、撮影されていました。石の階段を下りていくと、お舟の上に造られたダンス会場があり、夜空にくっきりと、聖天使城が、浮かび上がっていました。

もともと、この橋は、聖天使城に 渡る為に造られました。灰色がかった火山岩の一種のペペリーノ岩で造られ、化粧岩として、トラバーチンの石で、おおわれていました(紀元後134年)。

中世の時代から、巡礼者達が、サン・ピエトロ大聖堂に行く為に、渡っていきました。

やはり大多数が行き来するので、二車線に分けられ、途中で止まってはいかん、という規則が出来たそうです。。。古今東西 考えることは、皆同じ….. 現在の美術館でも、こんな感じの 鑑賞方法がありましたか…..。。。

1300年から、聖年が、始まります。その年に、信者達は 巡礼者となって ローマへ行き、何ヵ所かの教会を巡り、ローマ教皇から、「 貴方の罪は 許された 」という証書をもらえるという年です。フランスの方からも、アルプス山脈を越えて 裸足で !!! サン・ピエトロ教会 ( 第一回目の教会も、かなり大きかったようです ) まで、巡礼者達は、やって来ました。古代ローマ街道も、大いに利用されたみたいです。最初は、50年毎に、そして1400年代終わり頃から、25年毎に、なっていきました ( 経済促進も あったのかな ?)。

これだけの人々が渡っていくと、やはり悲劇も 起こるようです。1450年の聖年に、 Barbo枢機卿のラバが、雑踏に 驚いたのか 暴れだし、大混乱になり、橋の脇の欄干が崩れ、多数の巡礼者達が、川に落ちて、死んでいったり、人々の下敷きになって死んでいったようで、一説には、172人、又は 300人以上が 亡くなったと、記されています。

1536年、カール五世 ( Read more

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ガイドはつらいよ(7時間観光) 2021年2月25日木曜日

個人のお客様と共に、1日長時間の歩け歩けコースもします。あの時は….. 多分お母さんと娘さんのお二人だったかな…..公共交通機関と徒歩、コースは、お二人から希望をあらかじめ言って頂いて、最終的に、私がコースを決めるというので、机上で大体の時間配分をしたのを持ってきて、さあー開始 ! * La Basilica di S. Giovanni in Laterano (サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂)。入るとやはり立派。奥行きだけでも130mもあり、パリのノートルダム大聖堂と同じ長さ ( あの大聖堂は 帰らぬ教会となりましたか…. 無念….)。* 市電で、Trastevere 区域まで行こう…と計画をして、ガタゴトガタゴト….. 途中で、Colosseoや Circo Massimo を車窓で見ながら、しかし市電の乗り換えを間違えてしまった….. それに 市電も新型と旧型があるので、新型の市電で座っていけたらいいなぁと胸を膨らませたのだが…. 実際にやってみると、新型だったが、立ちんぼうでした、うまくいかないわ…… * Trastevere区域は、古代ローマの王制時代から、その当時の外国人達が住みつき ( エトルリア人とか、あとになってユダヤ人など )、ローマ帝国時代もにぎやかだった。その当時は、狭い道にバルコニーが張り出していて、道はゴチャゴチャ、荷車も通れず、迷路みたいだったそう。1500年代、河岸に貴族達のテラスや庭がある屋敷が並び、キョウチクトウやシトロンの木や実、オレンジ ( あの時代にオレンジが、あったのかって ? Borghese 美術館に、Bassanoが描いた “最後の晩さん” に、オレンジが中央にこれでもかという感じで、描かれてありましたね )、ぶどうの木が見られ、下方の枝が川のなかにつかっていたりしたそうだ。東京でいうと浅草みたいな界わいのこの区域。初夏から夏にかけては、ヨーロッパで最大の賑わいを見せる…… 夜店がTrastevere大通り沿いにズラーっと並び、数えきれないトラットリア、ピザ屋、bar、パブ……. Read more

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