















2011年3月11日、あの日本と世界中を悲しみの渦に巻き込んだ地震と津波と原発事故の東日本大震災から10年の歳月が経ちました。今年は、もう一度 JASGAが被災地と共に歩んだ10年を振り返ってみます。 JASGAは緊急総会を設けて、張り裂ける思いを胸に私達の愛する日本の家族や知人や、助けを求めている人達に何が出来るかを話し合った。
1) 寄付とエールのメッセージ紙を収集する。
JASGAのメンバーは、ガイドの仕事をしながら街中を走り回って旅行会社、ホテル、レストラン、親族、知人、さらにはナポリやローマ以外の土地のガイド協会からも寄付が寄せられました。 それらは仙台の赤十字病院と三陸地方の飼い主を失った動物を保護する協会に贈られました。残りのお金は、福島県伊達市の養護施設の壊れた冷蔵庫と扇風機を購入する為に使われました。
2) イタリア政府観光局からの依頼
放射能からの避難命令により着の身着のまま土地や家を追われて、家族と離別して体育館やホテルを転々とする幼な子を連れた若い母親達を被曝から遠ざけるべく36組の母子をローマに避難させた。 アリタリア航空、✈️ 各フライトに数席ずつ、まちまちの日時で1組〜2組で到着。各ホテルも一室ずつ提供してくれた様で違う宿泊施設へ案内される。 言葉も通じない 地震や津波のトラウマに怯える子供を抱いて配給された着替えの入る小さな手荷物一つで。彼らの送迎とケアにボランティアの通訳兼ガイドが必要だった。 丁度、福島からローマに90歳の老父を連れ帰って来ていたメンバーの1人がいました。この親子達の全員の送迎と日常のケアとをしました。36組みの親子は異国で悲しみの淵に落ちない様にと。 90歳の老父と子供達は同じ言葉を話す(標準語でも気持ちを訛るかな)お爺ちゃんと孫の様な感覚ですぐに馴染んでいった。その中の母娘は、今でもお爺ちゃんの命日には日本から花籠を送ってくれます。 そしてJASGAの仲間は其々に時間を割いてはその母子達の洗濯物を洗って届けたり、必要な物を補給してあげたり、食事に招待したり、海の別荘に招待したり、ドライブしたりと少しでも悲しみや不安を消してあげられる様に1人にしない様にと心から親身になって愛情込めて接してくれた。
3) JASGAの業績が讃えられて当時のカルリ副会長はイタリア政府観光局のホールを貸して貰います。
被災者に送る義捐金を送る為のバザーを開催しました。役員とメンバーは一丸となってよく働きました。収益金の100万円は、後に代表がローマから持参して直接相馬のAAR の横山女史の車での案内の元に、相馬、南相馬、大熊、飯館、霊山、富岡、柳川、保原の幼稚園、保育所の室内遊具や飲料水として届けられました。
4) 復興応援コンサート
伊達市役所役人高橋徳次郎氏の力添えと大河内一族の協力の元に、伊達市民会館ホールと、保原小学校、上保原小学校の3会場にてピアニスト尾身直子とオペラ歌手の矢野祐紀子による復興応援コンサートを開催。ローマからは、JASGAのメンバーの1人と、運転手に谷口神父。続いて相馬の仮説住宅でもコンサートをする為にレンタカーを使用。 ローマからのエールノメッセージ用紙と、レンタカー使用代のスポンサーはJASGAから❤️💕👍
5) 2012年3月6日 相馬市立中学校慰霊碑
多数の犠牲者を出した磯部中学校に建てる慰霊碑のお金の不足分を支援して頂けないかと相馬市の委員会から申し出があった。JASGAは依頼を受理しました。
6)ワタノハスマイル展。
元在日イタリア文化会館館長のジョルジョカンパナーロ、マリア御夫妻を中心に、ローマ郊外のザガローロ市のロスピニオージ宮殿内のヨーロッパで一番大きな玩具博物館で、石巻市の震災孤児が校庭の瓦礫で作ったオブジェの展示会が行われました。 子供達は、ザガローロ市民達の家庭にホームステイしました。滞在中に、市の小学校で合同授業、大統領官邸訪問、サッカー試合、トッテイと会う。郊外地方観光。ローマ観光。 ローマ観光には、JASGAからボランティアガイドが一名と、当時のJASGAの会長が一緒させて頂きました。お昼は、2500前の古代の競技場の観客席だったチルコマッシモの競技場の土手に腰掛けて皆んなでいただきました。
7) 再度福島と相馬の被災者訪問。伊達市の市長と会見。市の子供復興援助活動課にJASGAからの支援金贈与。エールメッセージ紙を持って相馬市のASR 訪問と、被災地の復興状態視察。
8) ローマ講演会
津波後の行方不明者の捜査や救出作業に携わり、避難所や仮設のケアーに従事されている AAR 相馬支部の横山女史をローマにお呼びしました。 会場は、JASGAの会員と関係者のみの講演と、一般市民用の会場の2カ所によって行われました。 イタリア人は日本と日本人と、原発事故の状況も本当に心配していましたから。。 一般人の為の会場は報道陣も参加しました。そこには テレビ局も入ってテレビで放映されました。ニュースでは知り得ない大変貴重な体験談と現状を知ることが出来た大変貴重な講演会となりました。宮崎会計監査長、役員各位、他、JASGAのメンバーの方々のご参加と御協力ありがとうございました。 翌日は、バチカンでの法皇の特別謁見。法王庁に表敬訪問。被災地での数日もの食糧不足の際にバチカンよりヘリで空から食糧の箱を落としてくれたその時に生きる希望を持ったと言う。感謝を伝える為に公式の訪問。 レデンプトーリスマーテル本部総長平山大司教と面会。神学校と寄宿舎訪問。昼食会。案内は谷口神父。滞在中の全行程の企画と観光も含めてガイドはJASGAから福島復興支援ボランティア代表で大河内。
9) JASGAのマスコット菜子ちゃんが被爆からローマに避難の為に戻って来たあー 💕😍
10) 日本の漫画が大好きなイタリア人。ローマコミックスが盛大に行われます。コスプレ大会もあります。日本食店もメイド喫茶も出店します。日本からは有名な一流漫画家が招待されます。
この年は、先日亡くなられた高田ケンゾウ氏のプロジェクトする東北大震災の復興の象徴である 会津の「起き上がり小法師」展が行われました。 国際的に名の知られた音楽家、例えばアランドロンの様な俳優女優、相撲界、金メダル受賞者、演奏家等知名人が無地のこぼしに手描きとサインをしたものです。在イタリア文化会館で展示され、そしてロミックスで、その後はそのまま全権を託されてザガローロ市へとボランティア続きとなる訳です。期間中は、仕事の合間をぬぐってJASGAからは長谷川の協力もあり2名のメンバーが活躍します。最終日は、観衆満員のホール壇上で福島を代表してイタリア人の絆の感謝と呼びかけを致しました。
11) 東日本大震災追悼と復興支援コンサート。
毎年3月11日にはローマのサンタ・リタ・ダ・カッシア教会で、ジョルジョ、マリア・カンパナーロご夫妻とモンシニョールの計らいでモリナーリ神父の東日本大震災の特別おミサが設けられます。 2014年、震災から3年目。この年は、プロの歌手団が「花は咲く」を合唱…JASGAメンバー大河内が日本語で訳した福音書の1小説を読みました。JASGAのメンバーも仕事先から駆けつけての参加です。教会の外まで溢れて入り切れない人々は教会の外で祈りを捧げました。NHK も来られて日本との合同ミサでした。祈りと歌は、なんとも言えない綺麗な響きで風に乗って現地まで届いたかと思われる程でした。 翌朝は、続いて早朝5時からまだ暗い中にミケランジエロ設計のローマの市庁舎カンピドリオ広場にて祈りと花輪を捧げる儀式が行われました。眠いけど爽やかでした。現地に祈りが届いたかなあ。。。
12) ザガローロ玩具博物館で起き上がり小法師展示会。
上記の写真でもご覧になれる先日他界された高田健三氏と右腕の渡辺氏に「上がり小法師」イタリア人の多くに知ってもらう為にと委託されてしまったJASGAの一メンバーは、石巻市のワタノハスマイル展をしたロスピニオージ宮殿の玩具博物館で行う企画をしました。今回もカンパナーロ御夫妻の大きな力添えと数人のボランティアを募って実行。 開幕式は、たまたまイタリアの大使館に挨拶に来ていたサムライアーチストに大使館で出会いました。その場で開会式の余興に参加!この度も、快くオペラ歌手の藤井やす子女史とピアニストが協力して下さって大成功。街の主婦達が腕を振るってくれました。 JASGAのメンバー達も忙しい中郊外のザガローロまで駆けつけてくれました。
13) 後に宮城県庁から東北民芸品寄贈。
日本から届いた民芸品の管理、ザガローロ市長と玩具博物館館長達との打ち合わせ。
宮城県庁からの数回の役人出張のケアーとご案内、通訳、贈呈式企画、準備、展示、はジャスガの大河内とその仲間のボランティア。
届いた民芸品のリストに合わせて各地方のの玩具の風土や謂れや歴史の書類と、展示用パネルの翻訳と、贈呈式の同時通訳は、ジャスガの栗原氏のボランティアでした。
贈呈式は、オペラ歌手の藤井やす子、両国の国家からイタリア民謡。日本民謡と美しい歌声で魅了しました。花束贈呈には可愛らしい沢口ハーフ姉妹が行いました ❤❤❤
いつもに劣らず素晴らしい贈呈式になりました。
日本民芸品の部室を設けて下さる話し合いになっていましたが、両国の市長が変わってしまい。途切れています。
又いつか必ず復活することでしょう。
14) スペイン人とイタリア人のプロの演奏者と合唱団の総勢230名が福島市と郡山市、東京のサントリーホールの三箇所に於いて、コンサートツアーを実施しました。
東日本大震災の被災者の方々を無料招待して1時でも平和な心で癒されて頂きたい楽団員一人一人の熱い思いでした。彼らも無償なのです。人の為にと、ただ神の召し出しを喜ばれて感謝されてるのです。お腹の大きい女性もいました。乳飲児と幼児と乳母と夫を同伴で来ている奏者もいました。若い子も年配も。滞在中は、本番の為の練習のみで自由時間や観光もありませんでした。このコンサートを、2年がかりで大勢の人達の沢山の力添えを頂きながら大成功に至った影には 昼夜、努力して下さった方々の汗と愛と涙の賜物でした。そこには華やかな舞台には見えない2年間の、大ドラマが展開されたのでした。 福島県側のキコのコンサートオーケストラ受け入れ側実行委員会が発足されました。 山口、成井夫妻、大槻、作田、今泉 清水、阿部、櫻井、三宅、大内、八木沼、藤川、畠夫妻 ローマからも福島出身地の日本人でJASGAと個人的にはローマで日本食店の看板を持つメンバーが1人。福島側の実行委員会の役員の一人として任命され、日本とイタリアを何度も往復しました。そしてオーケストラ団員の到着から滞在中の通訳兼ガイドとしても活動しました。 谷口神父は両側の大責任者でした。県知事、文化局長達を説得するのにも大変だったといいます。「生きる為に大きな問題を抱えている我々には、そんな他の信教の外国人の音楽など興味も理解も無い」と、断る役人もいたりしました。🤞 許可を得る為に山口は神父を同行して大雪の中を車で山口元県会議員の力が天地を返したと言います。車、知事、議員や、教育委員会、音大の校長、銀行頭取、大手企業社長、の家の門を叩いて説得する事。一方資金援助をして貰うこと事から始まったのです。 熱い思いの故に役員同士、夫婦同士意見の相違もありました。長くなるのでここでやめておきましょう。 兎に角、コンサートのみならず。。晴やかな舞台の裏には大変な努力と力と導きが有るのだと言うことを改めて知りました。何事も絶対に自分一人の手柄にしてはいけないと思います。協力して下さった全ての関係者の方々を讃えます。溢れるばかりの会場の観衆の心は感動に震えました。感謝以外に何もありません。 福島での宿泊は、天皇様がお泊まりになられるホテル吉川屋。ホテルは畠社長と女将が津波と原発事故の避難民を受け入れたホテルでした。その為に普段ならこんな一流ホテルに全員で宿泊するなど有りません。自衛隊員、救助隊が雑魚寝した大ホールで食事をしました。 一つ心残りなのは、本番前に滑って転んだりと言う事故を防ぐために楽しみにしていた露天風呂付大浴場での入浴が♨️自粛させられた事です。😢それ程に全員はこのコンサートツアーに掛けていました。
15) ローマのラジオ放送局オンダロッサ。
多くのイタリア人は通勤や移動に車を利用します🚗
朝のラッシュは想像以上です。 そこでラジオも聴きます。このラジオ局は、宣伝無しで寄付だけで賄われます。生放送で各新聞社の朝刊を読み上げます。それに対して視聴者は電話で意見を述べる事が出来ます。 このラジオ局では毎年東日本大震災の追悼と被災地復興の状態、原発問題の特集をやります。 ここには日本から福島県人で一被災者でもある 大川原氏が2年間続けての特別ゲストで招かれました。大反響でした。翌日まで3度も放送されました。昨年はロックダウンすれすれセーフで参加出来ました。 放送に読み上げる沢山の原稿用紙を打ち合わせしながら翻訳するのは、JASGA のメンバーの1人がやります。大川原は、真の現状を1人でも多くの方に伝えたいと日本語でマイクに向かいます。 イタリア語で彼の言葉をイタリア語で話すのはイタリア人です。毎回、緊張する時間です。
絶対に忘れてはいけません。
家族を失い、友人を失い、家を失い生き残された私達は、世界の終わりかと思わされる程の悲しみの体験をしました
人生を一からやり直しです。
乗り越えなければいけません。
子孫の為に、復興して強く生きる義務があります。 原発問題も終わっていません。
忘れないで下さい。私達を!
忘れません。私達は。
ローマからあなた方のために祈ります。
大河内千香子