。。。ウクライナ….クリミア半島…クリミア戦争……ナイチンゲール….と、はるかかなたに、学校で習ったような記憶がありますが、東ヨーロッパから ロシアにかけては、私の知識はそれ以上は 真っ白もいいところ。ですが、今回、危機感が迫ってきているロシア – ウクライナという事で、やっと、これではいかん ! と、思い直しました。。。 どこから ウクライナとロシアが対立していったのか 全然 わからないので、とりあえず 2000年前までさかのぼる事にします……紀元前、ロシア南部は、インド・ヨーロッパ語族が住んでいたそうです。当然ながら いろいろな民族と闘っていき、7世紀頃から スラブ族が、ロシア西部を、支配し始めました。9世紀末頃から、スラブ民族のキエフ大公国 ( キエフは今でも、ウクライナの首都 ) が、キエフ周辺に 広がっていきました。ですから、元々は ロシアとウクライナは、同じ文化を持っていたのでしょう。1654年、協定がウクライナとソビエト間でなされ、続いて ベラルーシも加わって、ソビエトの中心的な存在を形成しました。1954年、300年にわたっての、ソビエトとウクライナの 友好を祝って、ソヴィエトは、クリミア半島を、ウクライナに 併合させることにしました。その後、ウクライナの南東部にあるDonbass 州で炭鉱による工業が 発達していき、経済発展が、より東のロシア語圏へと、移っていったようです。1991年にソビエト社会主義共和国連邦が倒れたので、それまで ソビエトの領土は 14の共和国があったのが、コントロールがきかなくなってしまいました。その中で、ウクライナは1990年に共和制を宣言し、翌年に独立宣言をしたので、ウクライナの離脱は、ロシアにとって 痛手だったといえるでしょう。それから ウクライナ内部において、政治家達は、ロシア寄りと ヨーロッパ寄りにわかれて、議会を解散させたり、成立させたり、新しい大統領や首相を任命したり 取り消したりと、目まぐるしく 争っていきます。2005年に、ロシアのガス会社のGazprom は、両国の友好が続いていた時の値段の4倍を、ウクライナに 請求し始めました。2008年に、Juscenko大統領(UE寄り)が、毒を飲まされて 顔の形が変わってしまった事件を、覚えている人もいるかと、思います。2013年に、Janukovyc大統領(ロシア寄り)率いる政府が、ウクライナとUEの連合協定の一時停止をしたので、11月 大統領に反対しての デモが爆発しました。2014年、1月と2月に、度々のデモ隊の衝突があり、2月 18日・19日・20日のデモは危機を高め、ついに 22日未明に、Janukovyc大統領は、逃亡しました。2014年 Read more