ウクライナといえばナイチンゲール 2022年2月1日火曜日

。。。ウクライナ….クリミア半島…クリミア戦争……ナイチンゲール….と、はるかかなたに、学校で習ったような記憶がありますが、東ヨーロッパから ロシアにかけては、私の知識はそれ以上は 真っ白もいいところ。ですが、今回、危機感が迫ってきているロシア – ウクライナという事で、やっと、これではいかん ! と、思い直しました。。。
どこから ウクライナとロシアが対立していったのか 全然 わからないので、とりあえず 2000年前までさかのぼる事にします……
紀元前、ロシア南部は、インド・ヨーロッパ語族が住んでいたそうです。当然ながら いろいろな民族と闘っていき、7世紀頃から スラブ族が、ロシア西部を、支配し始めました。
9世紀末頃から、スラブ民族のキエフ大公国 ( キエフは今でも、ウクライナの首都 ) が、キエフ周辺に 広がっていきました。ですから、元々は ロシアとウクライナは、同じ文化を持っていたのでしょう。
1654年、協定がウクライナとソビエト間でなされ、続いて ベラルーシも加わって、ソビエトの中心的な存在を形成しました。
1954年、300年にわたっての、ソビエトとウクライナの 友好を祝って、ソヴィエトは、クリミア半島を、ウクライナに 併合させることにしました。
その後、ウクライナの南東部にあるDonbass 州で炭鉱による工業が 発達していき、経済発展が、より東のロシア語圏へと、移っていったようです。
1991年にソビエト社会主義共和国連邦が倒れたので、それまで ソビエトの領土は 14の共和国があったのが、コントロールがきかなくなってしまいました。
その中で、ウクライナは1990年に共和制を宣言し、翌年に独立宣言をしたので、ウクライナの離脱は、ロシアにとって 痛手だったといえるでしょう。
それから ウクライナ内部において、政治家達は、ロシア寄りと ヨーロッパ寄りにわかれて、議会を解散させたり、成立させたり、新しい大統領や首相を任命したり 取り消したりと、目まぐるしく 争っていきます。
2005年に、ロシアのガス会社のGazprom は、両国の友好が続いていた時の値段の4倍を、ウクライナに 請求し始めました。
2008年に、Juscenko大統領(UE寄り)が、毒を飲まされて 顔の形が変わってしまった事件を、覚えている人もいるかと、思います。
2013年に、Janukovyc大統領(ロシア寄り)率いる政府が、ウクライナとUEの連合協定の一時停止をしたので、11月 大統領に反対しての デモが爆発しました。
2014年、1月と2月に、度々のデモ隊の衝突があり、2月 18日・19日・20日のデモは危機を高め、ついに 22日未明に、Janukovyc大統領は、逃亡しました。
2014年 2月22日・23日に、クリミアで、ロシア寄りの人々のデモが 行われました。
2014年 2月26日に、ロシア軍隊は 彼らの記章をつけず、クリミアに侵入してきて、クリミア地帯を ロシアのコントロールの下におきました。次の日、議会や政府の建物を占領し、 新しく Sergej Aksenov氏を リーダーとしてたてました。ウクライナ、Nato(北大西洋条約機構)、アメリカ合衆国はロシアを非難して、それ以来 戦いへの緊張感が 現在も 続いてきているようです。クリミアは アゾフ海を握る重要な地点でもあり、ここを支配下におく事によって、ロシアは アゾフ海の権限を 70%握る事が出来たのです。
2014年2月28日、ウクライナの 逃亡した Janukovyc元大統領や Aksenov リーダーは、Putin 大統領に ウクライナを再び 平静に戻すようにと頼みました。武力を使うのは、一応は明記しなかったようですが。
2014年3月1日、ロシア連邦の 2 議会は、Putin大統領に クリミアへの軍隊介入を、認可しました。そうこうしているうちにも、クリミアから ウクライナの国旗が取り除かれ、ロシアの国旗に代わっていっているようです。
2014年3月11日、クリミア半島のAcsenovリーダーは、 一方的に クリミアの独立を宣言して、3月16日に 国民投票を計画し、その後 クリミア半島は、ロシアの下に、入りました。
2014年3月16日にウクライナの 政府は、クリミアの議会を解散させ、クリミアを「 一時的に ロシア連邦の下に入っている」と、規定しました。
2014年 3月27日 国連の事務総会で、クリミアで行われた 国民投票を認めないと、決定をしました。193国が参加して 投票した結果、100ヶ国が認めない、11ヶ国は認める、58ヶ国は棄権、という内容でした….. 計算が合わないが、無視します….
2018年3月に、ウクライナ海軍は 、ロシア漁船が ウクライナ領域に 入ったというので、漁船を差し押さえました。この事が端を発して、それまでも小さないざこざがあったのですが、これでもって、アゾフ海のコントロールと権利についての 両国の争いは、ますます エスカレーションしていきます。
2020年6月30日、プーティン大統領は、ある質問に答えて、「 ロシアとウクライナは一つである。ここ数年間、両国が壁で 分けられてしまったようだが、両者共に 同じ歴史や精神の内に、存在しているのであるから、分かれるなんて 考えられない。これからは この間違いを正し、我々は一つであるという着想を否定する者を、見つけていかないといけない。」と 語りました。
現在 ウクライナは 、2024年に UEへの加入を正式に提出する為の書類を 作成中であり、2030年には、正式加盟に こぎ着けたい模様です。
。。。ようやく 現在の紛争の 始まりに たどり着きました。2021年からの、緊迫していく空気は、次回 いつの日か、再び触れようかと思います。。。 (続く)

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月日
国名…新感染者….新重症患者(合計)

1月29日(土 ) :
イタリア…13万7147人..−42人(1588人)
日本…………8万4941人…….37人(734人)

1月30日 ( 日) :
イタリア……10万4065人…5人(1593人)
日本…………..7万8128人…33人(767人)

1月31日 (月 ) :
イタリア……5万7715人.. − 9(1584人)
日本………….6万0836人… 16(783人)