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2021年3月9日火曜日

ワクチン接種ツアーロンドンの、Knightsbridge Circleナイツブリッジサークル旅行代理店を始めとして、幾つかのこの手のツアーが、売りに出されているようだが、詐欺の場合もあり、好評に売れていると言えるのかどうか、どうなのでしょう….. 目的地のドバイ(ドバイ首長国)は、住民票のある人に、接種すると言っているので、ツーリストにはどうなのか…… しかし、スペイン国王Felipe 6世のお父さんが、この国に住み始めていて、国王の2人の姉妹がお父さんを訪ねて来た際に 接種をしたとかで、スペイン国民の非難を浴びているらしいが…..

豪華ツアーの内容 :ホテルは最高級、第一回目の接種の後に、第二回目まで21日間あるのを利用して、バカンスを楽しもうというわけ。Jumeirah Beachジュメイラー・ビーチ、そしてホテルにはプールもあるし(。。。接種後に、泳いでいいのかしらん)、素晴らしいお料理も、用意されている。Pfizer ワクチン希望の人は、ドバイへ行くこと、Astrazeneca 希望の人は、インド行きにする事。インドツアーは、マダガスカルにも行けるとか。費用は、600万円くらいだそうです。似たような観光は、フロリダ(アメリカ合衆国)ツアーで、カナダの金持ち年金者達が、ワーッと行ったのだそうです。(2月12日付け)

Venezia- Trieste-Lubiana (日本では、リュブリャナと呼ぶのかな? スロベニアの首都) :来年から、Venezia からTriesteを通過して、リュブリャナに到着する新幹線・frecciarossa フレッチャロッサが実現する可能性がある。スロベニア国鉄が、イタリア国鉄(Trenitaia) と、交渉しているそうだ。今までの所、Veneziaから、リュブリャナまでは、協定が成立しているみたいだが、ただしスロベニア国内では、最高時速160kmを、守らないといけないので、どうするのか….. このまま交渉が進んでいけば、今年末から来年始めにかけて、Frecciarossa が走り始めるだろう。ただし、その為に新しく工事をしないといけないのかどうかは、まだ明らかになっていない。リュブリャナから、オーストリアしいては、バルカン半島に到達するという路線も、夢では、なくなってきているみたいだ。Italia ースロベニアに関しては、すでに2004年からEurocityと名付けられた電車が、毎日Venezia からリュブリャナまで走っていたのだが、2008年に中止になったという事実がある。(2月28日付け)

Frecciarossa… イタリア国鉄の新幹線名。2008年運行開始。平均 速度は300km/h。Milano-Roma間を、3時間弱で走る。

ワクチン接種証明書Von der Leyen ヨーロッパ連合国委員会会長は、プライバシーを侵害しないで、ワクチン接種証明書の、デジタル・パス・グリーンカードを提案する法律を、作成している最中だ、とtwetterに載せた。(3月1日付け)

イギリス1回だけの接種をしただけで、80%減の入院患者を記録した。Matt Hancock 保健大臣は、2000万人の接種者からの資料が元になっていると述べた。彼は、監視状態をまだまだ続けないといけないものの、驚くべき科学の力であると語った。⬇️又7日だけで、82人の死者を記録したが、これは、去年10月に79人を記録して以来、初めての低い数字であるそうだ。そして、2200万人が、少なくとも1回目の接種をしたという事である。(Italia は、約535万人)(3月1日 、8日付け)

フランス普通の生活状態に戻るのも、はるか彼方のことではなく、たぶん4月半ば頃に、戻れるだろう、とGabriel Attal 政府スポークスマンが、国の衛生状態を語る国防委員会の終わりに語った。(3月3日付け)

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なぜバチカン市国では2月11日は祝日なのか。

2月11日は大事な日であり、1977年までイタリアでも祝日でありました。子供たちが学校を休めて喜んでいましたし、大人も仕事に行かなくてよかった日です。 

2月11日は1929年のラテラノ条約締結記念日です。

イタリア側はムッソリーニ、バチカン側はガスパッリ枢機卿が調印したラテラノ条約はバチカン市国を独立国として認め、イタリアとカトリック教会との関係を規定し、ローマ教皇が1870年に世俗支配を喪失したことに対する補償を定めました。

条約には新しい国家の国境を記した地図が添付されました。ローマ教皇庁が絶対的な権力を及ぼす約44ヘクタールの領土です。

ラテラノ条約により、1870年にローマがイタリア王国に占領されたことから始まったいわゆる「ローマ問題」に終止符がうたれました。

ローマがイタリアに併合され、イタリア政府の座に定められた直後、イタリア王国とローマ教皇庁の関係を規定するために「教皇保障法」が定められました。同法により、ローマ教皇は国家元首同等として認められました(国家のない国家元首でありますが)。さらにカトリック教会に没収された資産の保障とイタリア国内にある主要な教会設備を保護するための多額な資金が定められ、カトリック教は国教として認められました。

しかし上述の「保障」にもかかわらず、完全に領土を失ったローマ教皇はイタリアという別の国の囚人の立場におけれていました。イタリア王国はローマ教皇に対して尊敬を示してはいましたが、実際は厄介な客であるかのように扱っていました。

このような状況において、ローマ教皇ピウス9世とその後任は「教皇保障法」を認めず、「教皇保障法」が定める補償金等を受け取ることも拒みました。ローマ教皇の観点から「教皇保障法」はイタリア王国による一方的な措置に過ぎず、それを認めることはイタリア王国によるローマの占領を認めることに繋がりました。

絶対的な君主であり続けるためには、僅かな領土でもよかったのですが、ローマ教皇には国が必要でした。「ローマ問題」はファシスト政権下で打開され、その時に始まった交渉がラテラノ条約の締結と、ローマ教皇がかたくなに拒んできた「教皇保障法」の廃止に導きました。

ラテラノ条約は1984年2月18日にイタリアのクラクシ首相と教皇庁を代表するカザローリ枢機卿の調印により改定されました。

Luigia R. ( Kurihara)

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