Roma 考古学公園2021年7月20日火曜日

あの辺りの遺跡は、現在、車が通り抜けているが、もったいない、深緑の中で、ひっそりと息づいていてほしい場所です。古代の原始宗教は、森の中から広がっていったではないですか….. 神秘的な、夢をみさせてくれる空間が確かにあるのが、森の中なのです….

要は、Piazza Vittorio 近くからVenezia 広場位まで、コロッセオ、Circo Massimo 、カラカラ大衆浴場 (…… “体臭欲情” という漢字が、コンピューターの漢字変換で、出てきたわ…… すごい…..こんなの、単語として成立するのかね……. ポルノ雑誌では使われるんだろうか….) 、 アッピア街道、水道橋公園に至るまで、大きなサファリ公園みたいに、囲いを全部し、何箇所かに 出入り口を設ける。現在の、街としての機能を果たす車道も歩道も、全て中止。Celio の丘あたりの住民が、どうやってCorso通りに行くのかって ?…….サア…. 横切れないわけだから、どうなるのかね…… 万が一公園内に含まれる一般市民の住居には、立ち退きが命じられる。本当に訪れたい人だけが、公園内に入るわけ。主催者側は、気は心、位の入場料金をとる。特に、清掃、警備は重要。だから、ユネスコからの援助金は絶対に必要だが、その時に誰かに援助金をくすねられないように気をつけないといけない。間違っても、現代風な建物(トイレにしろ)は、建てたらダメ……… ため息….

*黄金宮殿 …紀元後1世紀 :Colle Oppioに遺跡が見られるが、その当時、アルメニアの王様の戴冠式を行うのに、ネロ皇帝 ( 在位54年~68年) のお屋敷 ( Palatinoの丘 ) では 小さかったので、3年間待ってくれ、ふさわしい宮殿を造るからといって、突貫工事をしていった黄金宮殿だったが、全部は完成しなかった。部屋と部屋は、カーテン形式だったのか ? 台所もなかったみたいだ。そしてトラヤヌス皇帝 ( 在位98年~117年 ) が大衆浴場を造る際に、黄金宮殿の部屋部屋に土を流し込んで、浴場の土台にしてしまったので、現在黄金宮殿内の遺跡を歩くと、トンネルの中を、歩いているような感じになる。もちろん、投げ込まれた土は、発掘した人々により、取り除かれたわけだ。

Read more

Read More

そぞろ歩き(Borgo-Baunei) 2021年6月10日木曜日

Borgo という名前…., 響きがあります。「(一部の都市や村の)古い地区の通りの名称・大きな村(町)・(都市の城壁外に発達した)郊外地区・村落 等々」Bauneiバウネイという町は、Sardegna島の中央東部にあり、住民は3522人という小市というか、borgo です。この町は、内陸部にありますが、すぐ地中海に出られ、456kmの地中海の先にRomaがあるわけです。Sardegna島というと、透明などこまでも澄み切っている海に、白い砂浜が水色と溶け合うようにして続いていくという、誰もが憧れるキラキラとした夏の 雰囲気をたたえていますね。 数ヶ月前に、Rai 3 (Raiというのは、Italia のNHKみたいな国営チャンネル。Raiは元々 3チャンネルあり、このRai 3 は、少し教育TVみたいなもの。3チャンネル以外にも、最近、Raiは、子供用とか、スポーツ用とか、いろいろなチャンネルを増やしてきている)で、” 最も素晴らしいBorgo 2021年” の審査があり、第2位にこのBauneiが選ばれました。第一位は、Tropea(Calabria 州)ですが、ある考古学者が、私だったらBauneiがいい、と言ったので、ミーハーの私は、ドレドレとすぐにガイドブックの紐を解いてみました。この地は石灰岩で出来ていて、古代から遊牧が生活の糧(かて)とされてきたそうです。羊飼いとか山羊飼いとか….. そうすると、チーズの種類が多分豊富なのかなぁと想像しますよね…..Sardegna島の歴史はと言うと……島ですから、東西南北から敵が攻めてくる、流通で商業が盛んになる、のは当然です。アフリカのカルタゴ人、スペイン人、トルコ人、アラブ人… ですから、この島って、言葉にしても 文化にしても、少しイタリアイタリアしていない、面白い感覚があると思います。古代ローマ人は、紀元前227年にSardegna島を古代ローマの一県とし、征服を果たしました。地中海の中で、島ですから流通が元々盛んで、商業地として重要になっていき、ユダヤ人達の村落も多く生まれていったようです。RomaのTrastevere地域もそうでしたね、船乗りでもあるユダヤ人達が、多く住み着いていったTrastevere地域でした。Sardegna 島では、古代ローマ支配下では重税が課せられ、穀物の生産、鉱物の抽出も重要でした。古代ローマ支配は7世紀間位続いたので、習慣、言語(げんご)、文化等が今でも色濃く残っているようです。Torres港、そこに135mの長さで横たわっている古代ローマ橋….. 7つのアーチで支えられ、技術的には、ほぼオリジナルのままで残っていて、20世紀半ばまで使われていたそうです……Sardegna 島には、 Foro、道路、神殿、劇場などの遺跡が見られ、私達を楽しませてくれます。鉱物は主に鉛と銀、その他に鉄もあったようですが、鉛は水道管や食器などに、銀はコインにと使われていったようです。鉱山の労働者達は、他国からの奴隷や、奴隷でも 古代ローマ人の家族に売れないような政治犯も見られ、あるいは、キリスト教禁止時代でも ほそぼそと続いていたローマ教皇 ( 例えばPonziano 教皇 235年死亡、お墓はRomaのS. Callisto のカタコンべ) も捕われて、Sardegna島で強制労働をさせられました。鉱物採掘をする仕事は主に、手仕事で進められていき、井戸みたいに地面と直角に掘っていく、時には100m以上の深さにも達したそうで、岩を砕く(くだ- く)のに火も使ったそうですから、過酷重労働、不衛生、栄養失調などで、死んじゃったほうが楽だったかも しれません…… Baunei の町から約8km離れてS. Pietro(=聖人ぺテロ) in Read more

Read More