Borgo という名前…., 響きがあります。「(一部の都市や村の)古い地区の通りの名称・大きな村(町)・(都市の城壁外に発達した)郊外地区・村落 等々」Bauneiバウネイという町は、Sardegna島の中央東部にあり、住民は3522人という小市というか、borgo です。この町は、内陸部にありますが、すぐ地中海に出られ、456kmの地中海の先にRomaがあるわけです。Sardegna島というと、透明などこまでも澄み切っている海に、白い砂浜が水色と溶け合うようにして続いていくという、誰もが憧れるキラキラとした夏の 雰囲気をたたえていますね。 数ヶ月前に、Rai 3 (Raiというのは、Italia のNHKみたいな国営チャンネル。Raiは元々 3チャンネルあり、このRai 3 は、少し教育TVみたいなもの。3チャンネル以外にも、最近、Raiは、子供用とか、スポーツ用とか、いろいろなチャンネルを増やしてきている)で、” 最も素晴らしいBorgo 2021年” の審査があり、第2位にこのBauneiが選ばれました。第一位は、Tropea(Calabria 州)ですが、ある考古学者が、私だったらBauneiがいい、と言ったので、ミーハーの私は、ドレドレとすぐにガイドブックの紐を解いてみました。この地は石灰岩で出来ていて、古代から遊牧が生活の糧(かて)とされてきたそうです。羊飼いとか山羊飼いとか….. そうすると、チーズの種類が多分豊富なのかなぁと想像しますよね…..Sardegna島の歴史はと言うと……島ですから、東西南北から敵が攻めてくる、流通で商業が盛んになる、のは当然です。アフリカのカルタゴ人、スペイン人、トルコ人、アラブ人… ですから、この島って、言葉にしても 文化にしても、少しイタリアイタリアしていない、面白い感覚があると思います。古代ローマ人は、紀元前227年にSardegna島を古代ローマの一県とし、征服を果たしました。地中海の中で、島ですから流通が元々盛んで、商業地として重要になっていき、ユダヤ人達の村落も多く生まれていったようです。RomaのTrastevere地域もそうでしたね、船乗りでもあるユダヤ人達が、多く住み着いていったTrastevere地域でした。Sardegna 島では、古代ローマ支配下では重税が課せられ、穀物の生産、鉱物の抽出も重要でした。古代ローマ支配は7世紀間位続いたので、習慣、言語(げんご)、文化等が今でも色濃く残っているようです。Torres港、そこに135mの長さで横たわっている古代ローマ橋….. 7つのアーチで支えられ、技術的には、ほぼオリジナルのままで残っていて、20世紀半ばまで使われていたそうです……Sardegna 島には、 Foro、道路、神殿、劇場などの遺跡が見られ、私達を楽しませてくれます。鉱物は主に鉛と銀、その他に鉄もあったようですが、鉛は水道管や食器などに、銀はコインにと使われていったようです。鉱山の労働者達は、他国からの奴隷や、奴隷でも 古代ローマ人の家族に売れないような政治犯も見られ、あるいは、キリスト教禁止時代でも ほそぼそと続いていたローマ教皇 ( 例えばPonziano 教皇 235年死亡、お墓はRomaのS. Callisto のカタコンべ) も捕われて、Sardegna島で強制労働をさせられました。鉱物採掘をする仕事は主に、手仕事で進められていき、井戸みたいに地面と直角に掘っていく、時には100m以上の深さにも達したそうで、岩を砕く(くだ- く)のに火も使ったそうですから、過酷重労働、不衛生、栄養失調などで、死んじゃったほうが楽だったかも しれません…… Baunei の町から約8km離れてS. Pietro(=聖人ぺテロ) in Read more