全ての道はローマに通ず。しかし道だけではありません。多くの言葉もローマに通じます。
例えば英語の「マネー」がローマの地名から由来していることはご存じですか?実はこの言葉はローマの歴史の中で重要なエピソードと繋がっています。2800年近くの長い歴史の間、洪水、地震、火事、疫病、戦争、略奪など、幾度もローマは天災や人災に見舞われてきました。そのようなピンチの時、たいてい誰かがローマを救ってくれました。古代神話の神々や英雄たち、キリスト教の聖人や天使たちが守ってきた街です。さらにローマの救済者のリストには、意外な人物も含まれています。
ガチョウです。
時は紀元前390年、古代ローマの共和制時代です。北からやってきた蛮族のガリア人がローマ軍を破り、町を占領します。唯一侵略できなかったのは、岩壁に囲まれローマの中心にそびえ立つカンピドリオの丘。そこに何カ月もローマの住民は包囲されるのですが、とうとう絶壁を登る方法を見つけたガリア人は、ある静かな夜こっそりとカンピドリオを襲います。長い籠城で疲れ果てていたのか、ローマ側の見張りは誰も気が付きません。暗闇に紛れてガリア人がぐっすり寝ているローマ人に奇襲をかけようとします。
その時、 ガー、ガー、ガー
ガチョウたちが一斉に鳴きだしました。
ローマ人は飛び起きて、敵を追い返すことができました。これで一旦難を逃れたローマ人ですが、さらにその後戦場でもガリア人を破り、街を解放しました。
ところで当時ガチョウは女神ユノー(IUNO、神々の父ユッピターの妻)の信仰と繋がっており、カンピドリオの丘に飼われてました。神聖な動物であったため他の家畜と違い、何カ月も包囲されて飢えていたローマ人に食べられなかったようです。
その後、ガチョウが飼われていた場所にユノーの神殿が建立されました。「警告するユノー」の神殿、ラテン語ではIUNO MONETA「ユノー・モネータ」と呼ばれました(※ガチョウの「警告」に由来することは一説ですが、実は他説もあります)。
この神殿は現存しませんが、同じ場所に美しいアラ・チェーリ教会が建っています。急な階段のてっぺんにあるので辿り着くのは大変ですが、内部の華やかな装飾やルネサンス時代の壁画を見ることができ、頑張って登る甲斐はあります。
古代にはIUNO MONETA神殿の隣に造幣所ができたため、ローマの人々は造幣所自体をMONETAと呼び始め、転じて貨幣のこともラテン語でMONETAになりました。この単語は中世フランス語のMONEIE(発音は「モネー」)になり、更にイギリスに渡って英語のMONEY「マネー」になります。
もしも「電子マネー」「マネーロンダリング」「ポケットマネー」のような表現を聞く機会がありましたら、2400年前、カンピドリオの丘でガーガー鳴きながらローマを救った英雄的なガチョウと繋がっていることを忘れないでください。
栗原大輔