GIOIELLI DI ROMA

DURATA: 3 ore circa

APPUNTAMENTO: Piazza Barberini, al centro, vicino alla Fontana del Tritone

Partendo dalla famosa fontana del Bernini che rappresenta un Tritone che soffia attraverso una conchiglia, camminiamo per Read more

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LA ROMA SCONOSCIUTA

DURATA: circa 4 ORE A PIEDI

APPUNTAMENTO: INGRESSO DI CASTEL S. ANGELO

Castel S. Angelo/visita dall’esterno

Ponte sant’Angelo con gli angeli di Bernini, quintessenza del Barocco Romano

Via dei Coronari, con Read more

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ROMA ANTICA

ROMA ANTICA

DURATA: circa.3.5 ORE A PIEDI

APPUNTAMENTO: fuori metro Colosseo

Colosseo / visita dall’esterno

Foro Romano / visita dall’esterno + vista terrazza

Piazza Venezia e Colonna Traiana

Campidoglio & Piazza Read more

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知っていてもいいかな 2022年1月18日火曜日

Italia -ローマ 市長の選挙時の約束 :

ローマは、ゴミの回収が絶望的といってもいい位に 遅れている。根本的な、廃棄物処理場の問題があるのだが、Gualtieri 市長が 、市長選挙の際に、この事にももちろん触れていた。というので、少しでも、と思ったのが この度 実現の運びとなった。11月22日~1月9日までの期間中、ゴミ収集作業員に 特別ボーナスが 給料に加算される事になったのである。この期間 無欠席で働いたゴミ収集作業員は、税込みで 300€ ( 3万9200円位 ) 加算される。最高3日間欠席したら、260€ ( 3万4000円位 )の加算。5日間は200€( 2万6000円位 )。この為に 300万€ ( 3億9116万円位)が、予算として組まれたそうだ。

(2021年11月19日付け)

Italia – 上述の続き :

ゴミは相変わらず 積もっているので(少々 頑張っても間に合わない位にあるので)、新たなボーナスが ゴミ収集作業員に用意された。クリスマス時期 (というと、たぶん 12月24日と25日かな…)、26日(祝日 サントステファノ..最初に殉教した聖人 )、1月1日、6日 Read more

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そぞろ歩き(愛されたイタリア人)2021年1月15日土曜日

。。。そろそろ、イタリアのMattarella大統領の任期が切れ、まもなく 新大統領選挙が、今月後半に始まります。いつだったか、Mattarella大統領がどこかを訪問していた際に、1人の子供が何かを質問したら、彼は、私は年を取ったので もう疲れたからこれ以上は したくないと答えていました。

7年間が、大統領任期ですが、Mattarella大統領は 80才 。大統領というのは、やはり それ相当の年令でないと、安定感に欠ける雰囲気があるし (では、Macron大統領は、どうかって ?….さあ….)、かといって7年間というのは やはり長いですね。私が茶の間に座っている間に、彼は今日は シエナ、明日は アルジェリアと、飛び回っているのですから、又今日は女性を守ろう、明日はボランティアの人は素晴らしいなどと、毎日どこかでスピーチをしている姿を見ると、健康も頭脳保持も、中道左派も右派も考えながら、と 並大抵では ないと思います。

次期の候補者選びは、難しいようですが、大統領というのは、国で 最高の権利を持つわけで、戦争を始めるのも、法律施行も、彼のサインでOkになるという、軍隊の最高位にもいるわけで、なりたい人には、たまらない魅力でしょう………..ですから 誰がなってもいいというわけではない、しかも国民が直接に選ぶのではなく、国民が選んだ政党 ?! の 議員達が選ぶという…..納得出来ない…..ずいぶん前に 候補者探しの時に、ソフィア ローレンはどうだろうか、なんて言う冗談みたいな声も聞かれたという事ですが…..今回もまた、嘘でしょうみたいな声も 飛び交っているようです…..

さて 大統領の職というのは、イタリアが共和国になった 、第二次世界大戦後に生まれたのですが、国民に愛された大統領というと、やはり あの人が、あげられるでしょうか….。。。

Sandro Pertini サンドゥロ ペルティーニ (1896年 生 ~ 1990年 没 93才 )

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I luoghi di Caravaggio a Roma, garage e portoni ma neanche una targa

ROMA – Michelangelo Merisi, Caravaggio, visse aRoma tra il 1592 e il 1606. In questi quattordici annidipinse alcune delle sue opere più celebri, dal Ciclo diSan Matteo, al Davide con la testa di Golia, allaMadonna dei Pellegrini, alla Crocifissione Read more

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ミケランジェロ・メリージ(カラヴァッジョ)

ローマ – ミケランジェロ・メリージ(カラヴァッジョ)は、1592年から1606年までローマに住んでいた。この14年の間に、《聖マタイ伝》から《ゴリアテの首を取るダビデ》、《巡礼者の聖母》、《ペテロの磔》など、彼の代表作となる作品をいくつか描いた。不滅のキャンバス、それは彼を歴史上最も高く評価される芸術家の一人にするものです。しかし、ローマには、彼が筆やナイフに囲まれ、顧客や娯楽を「縁の下で」求めて暮らした場所を記憶する碑はありません。500年以上経った今、首都におけるカラヴァッジョの存在は、観光ガイドの情熱に委ねられているのです。日出ずる国、日本ではカラヴァッジョは当然のように評価されているのです。しかし、カンピドーリオとソブリンテンデンツァの間では、彼が住んでいた家々(最初はサン・ルイジ・デイ・フランチェージ、次にヴィコロ・デル・ディヴィーノ・アモーレ)をイタリア人や旅行者に思い出させようとは誰も思わなかったのである

ラヌッチョ・トマッソーニが刺されて死刑判決を受け、ローマから追放されたことを記念するプレートさえもないのだ。プレフェッティ通りの細い脇道、ヴィコロ・デル・ディヴィーノ・アモーレの寒い日陰で、中川裕子は一見すると無名の家の玄関と壁を撮影している。この画像は、カラヴァッジョの2度目のローマ滞在を記録するために使用される予定です。”サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 “の近くに住み始め、その教会のために制作した作品の収益で、画家はここに移り住んだのです。この家は本当に特別なんです」と中川は言う。サン・ルイジ・デイ・フランチェスコでは、1600年から1602年にかけて、コンタレッリ礼拝堂に展示されている《聖マタイ》の連作をカラヴァッジョが制作した。召命、殉教」「聖マタイと天使」で広く名声を得た彼は、「そのおかげで、教会の隣の家から一人で住んでいる家に移り、絵を描いたり夜の悪ふざけをしたりすることができた」のです。これは、当時Vicolo dei Santi Cecilia e Biagioと呼ばれていた場所にあった家で、現在はVicolo del DivinoAmoreとなっています。“ここで彼は、いくつかの作品に描かれている高級娼婦、レナ・アントグネッティという女と暮らした。サンタゴスティーノ教会では、レナはマドンナ・デイ・ぺルグリーニとして、赤ん坊を抱いて家の戸枠に寄りかかって描かれています」と中川は家の入り口を指差す。日本語観光ガイド協会の会長を務める裕子さん。“私は30年以上、ローマで仕事をしています。お客様は好奇心旺盛で、カラヴァッジョのことを何でも知りたがるんです。私たちは彼をとても愛しています。カラヴァッジョのような美しい絵を描くことは、とても難しいことです。私達は彼の人生を研究し、彼が住んでいた場所を復元することに成功しました。しかし、楯やパネルがあるわけではありません。以前、このヴィコロ・デル・ディヴィーノ・アモーレの壁には、少年たちが描いたカラヴァッジョの落書きがあった。でも、本当に醜かった……」と説明する。カラヴァッジョは、ナヴォーナ広場とコルソ通りの間、カンポ・マルツィオ地区にあるローマ最古の路地によく出入りしていた。”その角を曲がったところに、彼が食事をしたレストランがある。アーティチョークが好きだったんですよ」と、中川はトラットリアの写真を見せながら言う。さらに200メートルほど元老院方面に進むと、パラコルダ通り(Via di Pallacorda)があります。この通り、サン・ジュゼッペ・デイ・ファレグナーミの中庭には、1606年に画家が口論中に相手のラヌッチョ・トマッソーニを殺害するために訪れた競技場がある。現在、同じ場所にガレージがあります.

Agenzia Dire (中川 裕子 訳)

I luoghi di Caravaggio a Roma, garage e portoni ma neanche una targa – DIRE.it

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ローマの娼婦たち

奴隷となったことがきっかけで娼婦に身を落とす少女たちが多くいた。女衒(売春婦売買仲介業者)の手に渡った少女たちの中には、数奇な運命を辿るであろうと知りつつも実母が娘の身売りをしていた場合もあった。その後プロの売春婦として教育されていく少女達。この様な悍ましい出来事は4世紀になるまで止むことはなかった。

ローマでは富裕層の女主人がこの性風俗業の世界で幅を利かせていたが、解放奴隷となった女性達の中には相変わらず売春を強制させられこの女主人に上前を撥ねられた。時には 売上金をしっかり管理するがために自分の屋敷の一角を売春宿として経営する者もいた。

この頃市民のあらゆる不平、不満が暴動へと繋がらないためにも、息抜きのひとつとして売春行為は禁止されていなかった。そこで風俗街がいくつかあったが最も有名なエリアとしてスブラ地区やヴェラブロ地区、またチルコマッシモ馬車競技場があげられ、下層民居住区であることから値段も手頃なことでも知られていた。最貧困層であまりのひもじさから妻や娘に客を取らせる人もいたほどだ。 このような安っぽい売春宿の他に、アヴェンティーノの丘には上品で魅力的な高級娼婦が豪華な住居に住み金持ち相手に贅沢な暮らしをしていた。場合によっては、一晩限りの付き合いではなく、月単位や年単位でパトロンに住居を提供してもらいリッチな生活をその間保障してもらえる恵まれた女性たちもいた。

娼婦のことをラテン語でメレトリクス・Meretrix(金を稼ぐ女)、もしくは俗にルパ・Lupa(雌狼)とも呼びそこから売春宿のことをルパナーレ・Lupanareと呼ぶようになった。

アンナ (訳:美山)

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(男性)同性愛について

共和政後期以降「セックス」に対する一般的な考え方は、特に問題視されることもなく単に人間のもつ基本の生理的欲求の一つとして見られていた。古代偏狭な考え方を持ち自制心を重んじる時代でありながら、「同性愛」に関しては表面的には社会的に否定はされずとも、公言するのは、はばかれていた。

紀元前三世紀以降はヘレニズム文化の影響で「性」に対する考え方もオープンなものになっていきました。共和制末期の政治家キケロによるとギリシャ文化の流入とともに少年愛嗜好がローマに入ってきたという。しかし 実際のところローマ人たちは 性に対する考え方は常に二面性があり、表向きには貞操の重要性を唱えながらも、その反面かなり好色な面もあった。ここで ギリシャ人とローマ人の少年愛に対する考え方の違いを知る必要がある。ギリシャ人は 成人男性と少年が師弟関係を結ぶ間柄であればその成長を促すため教育の一環として少年愛も「可」としていたが 逆にローマ人はこのような考え方はなく、教育者は徒弟に男らしく、支配的で戦闘的であることを良しと教えた。ローマにおける同性愛というのは 自由人であるローマ市民がマスキュリニティ(男性優位)にある時のみ成立し、片やその相手となるのは、その主人に仕える奴隷もしくは解放奴隷であり、その際彼らの意思は無視され、義務として主人を受け入れなければならなかった。セネカは この当時の同性愛についてとても明確に説明しています。『ローマ市民にこれを強制することは 犯罪行為である、奴隷が受け入れるのは必然であり、解放奴隷であればこれは当然の義務となる。』このように性問題に関してローマ市民と奴隷そして解放奴隷に対する対応の違いは昔から明快であり、だからこそ主人は 自分のお気に入りの奴隷達と安心してに関係を持ち続けることができた。

同性愛者の出会える格好の場所の一つとして知られるのが 公衆浴場だ。彼らの風紀を乱す迷惑行為があまりにも横行していたのでレックススキャンティニア(lex Scantiniaという法を発布する必要があったほどだ。更にこの法で児童に対する性的虐待があった場合、 その成人男性は罰せられ、また同等であるローマ市民同士の場合は 受け身となった男性が罰せられた。因みに軍隊内で問題が起こらないわけではなかったが同性愛は容認されてはいなかった。

アンナ (訳:美山)

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