トレビの泉

古代ローマには11本の水道橋が引かれたのだが、いまだに使われているのはヴィルゴ水道橋だけです。そのヴィルゴ水道を通った水が噴き出すのがトレビの泉。紀元前19年にアウグストゥスの親族であったアグリッパによって建設された水道の最終地点として、この場所にはなんども様々な建築家が壮大な噴水を設計してきました。現在見られるのは、ニコラ サルヴィによる18世紀のもので、水の象徴である大海の神オケアノスが貝殻の馬車に乗り、凱旋門から華々しくローマに向かって凱旋してくるのが表現されています。凱旋車を引くの海馬、下半身が魚になっている。それを操る二人はトリトン。 噴水右下に小さなバスタブのようなものがあり、よく見ると2本の細い糸のような水が両脇からひと所に向かって流れ出ているのがわかります。昔から伝説で、恋人同士がそれぞれの水を飲むと末長く結ばれると言われています。 また、噴水の右の道路側に大きな壺が見えますね。噴水を建設途中、ちょうどそこにあった散髪屋が騒音やら粉塵やらに対する苦情を頻繁に言いつけに来たらしいのですが、噴水が完成した暁には、ドーンとこんな大きな壺が目の前に設置され、店から噴水がうまく見えない結果となりました。やたら滅多に苦情を出すものじゃないですね。

Luigia

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パスクイ-ノ

パスクイーノ ⎡喋る彫像⎦と呼ばれるローマに6つ現存する彫像のうち、最も有名なパスクイーノ。16世紀頃から町民は街角にあるこのような彫像に当時の政治批判や風刺文などを貼り付けていた。ローマを統治していた教皇批判がひどくなった時期には、教皇がこれらの彫像を廃棄してしまおうと何度も考えたことがあるようだが、批判がさらに悪化するのを避け、そのままにされてきたようだ。 今でも、彫像の横の掲示板にはたくさんの張り紙が貼られていて、立ち止まって読んでいる人の姿も見られる。

Luigia

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ローマを救った英雄たち

全ての道はローマに通ず。しかし道だけではありません。多くの言葉もローマに通じます。例えば英語の「マネー」がローマの地名から由来していることはご存じですか?実はこの言葉はローマの歴史の中で重要なエピソードと繋がっています。2800年近くの長い歴史の間、洪水、地震、火事、疫病、戦争、略奪など、幾度もローマは天災や人災に見舞われてきました。そのようなピンチの時、たいてい誰かがローマを救ってくれました。古代神話の神々や英雄たち、キリスト教の聖人や天使たちが守ってきた街です。さらにローマの救済者のリストには、意外な人物も含まれています。

ガチョウです。

時は紀元前390年、古代ローマの共和制時代です。北からやってきた蛮族のガリア人がローマ軍を破り、町を占領します。唯一侵略できなかったのは、岩壁に囲まれローマの中心にそびえ立つカンピドリオの丘。そこに何カ月もローマの住民は包囲されるのですが、とうとう絶壁を登る方法を見つけたガリア人は、ある静かな夜こっそりとカンピドリオを襲います。長い籠城で疲れ果てていたのか、ローマ側の見張りは誰も気が付きません。暗闇に紛れてガリア人がぐっすり寝ているローマ人に奇襲をかけようとします。その時、 ガー、ガー、ガーガチョウたちが一斉に鳴きだしました。ローマ人は飛び起きて、敵を追い返すことができました。これで一旦難を逃れたローマ人ですが、さらにその後戦場でもガリア人を破り、街を解放しました。

ところで当時ガチョウは女神ユノー(IUNO、神々の父ユッピターの妻)の信仰と繋がっており、カンピドリオの丘に飼われてました。神聖な動物であったため他の家畜と違い、何カ月も包囲されて飢えていたローマ人に食べられなかったようです。

その後、ガチョウが飼われていた場所にユノーの神殿が建立されました。「警告するユノー」の神殿、ラテン語ではIUNO MONETA「ユノー・モネータ」と呼ばれました(※ガチョウの「警告」に由来することは一説ですが、実は他説もあります)。この神殿は現存しませんが、同じ場所に美しいアラ・チェーリ教会が建っています。急な階段のてっぺんにあるので辿り着くのは大変ですが、内部の華やかな装飾やルネサンス時代の壁画を見ることができ、頑張って登る甲斐はあります。古代にはIUNO MONETA神殿の隣に造幣所ができたため、ローマの人々は造幣所自体をMONETAと呼び始め、転じて貨幣のこともラテン語でMONETAになりました。この単語は中世フランス語のMONEIE(発音は「モネー」)になり、更にイギリスに渡って英語のMONEY「マネー」になります。もしも「電子マネー」「マネーロンダリング」「ポケットマネー」のような表現を聞く機会がありましたら、2400年前、カンピドリオの丘でガーガー鳴きながらローマを救った英雄的なガチョウと繋がっていることを忘れないでください。

栗原大輔

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デル グリッロ伯

Il Marchese del Grillo 「デル グリッロ伯」という映画を見たことがありますか? 今は亡きイタリアの国民的喜劇俳優アルベルト・ソルディの実に笑える映画があります。 フォロ・ロマーノの中心を走るフォーリ・インペリアーリ通りに並行してデル グリッロ坂はあります。坂の途中にアーチが渡されている所がデル グリッロ貴族の宮殿なんですが、この貴族のかつての当主という設定で面白おかしく描いた映画なんです。 デル グリッロ宮殿のある道からはトラヤヌスのマーケット跡の裏手に残るInsulae、すなわち古代ローマ帝国時代の集合住宅跡が見られます。また道に沿って背の大会頑丈な壁があるのですが、これは古代にフォロとSuburra(庶民の地域)を隔てた壁です。

とうあいこ

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ミケランジェロの家

ジャニコロの丘のサン・パンクラツィオ門のすぐ近くに⎡ミケランジェロの家の正面の復元⎦と言われているものがあります。 碑文にはTre Pile通りのミケランジェロの家の正面部分を1930年に移転し復元した⎦と書かれています。 しかしミケランジェロはローマに移住してから何度か引越しをしたものの、最終的には晩年までMacel dè Corviに住んでいたことがわかっています。これは今現在ヴェネツィア広場のジェネラーリ保険会社として使われている建物の裏側に当たります。華やかな作品を残したミケランジェロの生活は決して派手ではなく、家は1階が工房、2階は2DKのアパートだったようで、1800年代終わりにヴェネツィア広場の整備のために解体されたまま、悲しいことにスケッチも、残骸も何も残されていないのです。  Tre Pile通りはカンピドリオに登る坂の右脇のあたりに当時通っていた道で、1600年代の版画に、この写真そっくりの家が描かれています。しかしミケランジェロはここに住んだという記録はないようで、そこから移転し復元したというジャニコロのものは一体なんなんだ??と今でもミステリーとなっています。

とうあいこ

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パオラ噴水

La Mostra della Fontana dell’Acqua Paola 

ヴァティカン市国の南側にジャニコロの丘があります。ローマを一面見下ろせる位置に、パオラ噴水があり、目の前はすぐに車道ですから行き交う車が後を絶ちません。ローマ帝国の皇帝トラヤヌスの2世紀の水道橋を17世紀のローマ教皇パウルス5世が復旧し、その記念に建てた噴水です。噴水ってローマに沢山あるけれど、このパオラ噴水や、モーゼの噴水、トレビの泉などは基本的に古代の凱旋門をイメージし、新たな水道橋を通った水がローマに華々しく凱旋してくるのを表現しているのです。

とうあいこ

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ローマの水

Fontanella Nasone

家庭の台所の水も、広場の噴水も、夏場お世話になる写真のような水飲み場の水も、ちゃんと水道局が管理して、水質調査を行った上で流している水です。 家庭ではもっぱら市販のボトルを買う人、フィルターを通す人、Osmosi Inversaなどの浄水器を設置している人、蛇口からそのまま飲む人、色々います。でも道を歩いていて喉がカラカラになったら、皆Fontanellaから飲むでしょう? ローマに流れる水は9割近くが地下・地表源泉、約1割が井戸水で構成されているようです。古代水道橋を建て直し使用しているものも含め様々な源泉から水を引いているのですが、その多くは130kmも離れたリエーティ県から運ばれてきています。石灰はちょっと多いが飲める水。

 とうあいこ

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