ガイドはつらいよ(オベリスク)

今日は 真面目にいこう !

皆様は、スペイン階段の上に、きたなそーな茶色っぽい細い石の塔が立っているのを、ごらんになりましたか ?
オベリスクと呼ばれていますが、この言葉の意味は、古代エジプト語で、くし、あの串カツの串、という古代ギリシャ語からきています。
元来ギリシャの国は、すぐ海にくっつような狭い領土だったので、土地を求めて古代のギリシャ人達は航海をし、地中海沿岸に古代ギリシャ植民地を増やしていきましたから、今でも古代ギリシャ語が、あちらこちらに残っているわけです。ちなみに、”ピラミッド”の語源は、古代ギリシャ語の、三角形のピラミスというお菓子からきていましたよね。

Piazza del Popoloピアッツァ・デル・ポポロ(ポポロ広場)に立っているオベリスクは、紀元前1200年頃のオリジナルです。古代エジプト王国で、まずパッと頭に浮かぶのが ラムセス二世ですが、まさにその時代につくられたという、自分が生まれる前の事は、もう歴史の分野に入っているとしか思えない私達にとっては(広島や長崎、アウシュビッツ収容所の話しは、語り続けていく義務がありますが….) 、気の遠くなるような昔です。
それに、どうやって起源前の人々が、 あんなにスッキリと石の棒を、土台と先端の部分では、大きさも違うのですが、切って整えていったんでしょうか ?

その昔、オベリスクの上の三角形の部分に、金歯みたいな感じで、黄金がかぶせられたりもしていたそうです。
確かに、日没直前に砂漠の奥に立っているオベリスクのテッペンが、ピカーっと光っているのを見た人々は、さぞかし神秘と恐怖を感じたに違いない。そこにファラオが出てきたら、そりゃあ ひざまずきたくもなったことでしょう。

そのオベリスクを、古代ローマ皇帝達が戦いの勝利品という感じで運んで来て、それ用の長い船も 作られました。
そして, 戦車レースの競技場( Circo Masdimoチルコ・マッシモ)等に立てられていきましたが、それらを、1500年代位から、ローマ教皇が 重要な教会のそばの広場に打ち立てていき、巡礼者達の目印がわりにしていきましたが、その時にオベリスクのテッペンに、十字架がくっつけられていきました。

もうずいぶん前でしたか….. エ、又始まったのかって ? まあまあ、そう言わずに…..お一人の女性の方と観光した時です。その方が、「 私が Romaの全部のオベリスクを一つ一つ回ると、Romaの人に幸せがくるのですよ ! 」と突然に言われ、又例のごとく ? ひや汗がタラー…. 幾つあるのか、どこにあるのか….. .. ガイド試験の時は覚えていたけれど、終わって合格した途端に、全部忘れてしまったのでね !

幸いな事に携帯を持っていたので、こっそりサイトを見、現在位置からどうやって回るのが効率がいいのか、タッタッタと頭の中でコースを決め、無事に 13のオベリスクを回りました。やれやれ、首がつながった。