そぞろ歩き(古代ローマ3番目の王)2022年9月6火

2番目のNuma Pompilio王( そぞろ歩き..ヌーマ王 2022年3月9日、Numa王 続き同年 6月7日 ) の後、古代ローマ議会は 、ローマっ子であり、おじいさんが 、第1番目の ロムルス王と共に サビーナ民族と戦ったという Tullo Ostilio トゥッロ・オスティリオを、第3番目の王として、選びました。

Tullo Ostilio ….紀元前710年 生 ~ 641年 没 ( 69才 )

在位期間は、紀元前 673年(37才)~641年(死ぬまで) の 32年間 。彼は ヴェリア (la Velia…おおざっぱに言うと、現在の地下鉄B線のコロッセオ駅あたり) の頂上に住んでいたのだそうです。

2番目のNuma Pompilio王は、平和を愛して、生前 一度も戦いをしなかったといいましたが、この王は 戦いをしながら、古代ローマの領土を広げていきました。

Tullo 王の 最初の 措置は、ロムルス王 ( 第1番目 ) 所有の地を、貧乏人に分け与え、特に 家さえも持っていない人には、Celioチェリオの丘 ( コロッセオをはさんで、 ヴェリアとは 反対側にあり、コロッセオからも 木々が うっそうと生い茂っているのが見える ) に 家を建てる許可を与えた事です。これにより、 Tullo王は、市民階級から 支持を得ていきます。

Tullo王が 知られているのは、なんといっても、ローマの南にある Albanoアルバーノ湖 ( ローマから 約 26km )周辺に 住んでいた 、Alba Longaアルバ・ロンガ族 を滅亡に追い込んだ事でしょう。

Alba Longa 族の先祖は…. アイネイアス ( Enea ) の息子 Ascanio アスカニオでしたね…..Postino そぞろ歩き( アイネイアス2021年4月24日)、そぞろ歩き( アイネイアスの息子 ) 2021年5月20日 。

古代ギリシャのトロイアの街から、英雄 アイネイアスは逃げて いろいろな冒険をしながら 、Torvaianica ( ローマの南 約40km ) にたどり着き、その後英雄は ローマへ行きましたが、息子は 最後に Albano湖にとどまり、Alba Loga 王国を 築いていきます。

古代ローマの7人の王様時代は、伝説と歴史が 入り交じっているので、難しい面もありますが、この Alba Longa族 滅亡は、歴史的事実と とらえられても良さそうだと、言われています。

最初 この2つの民族( 古代ローマ民族と Alba Longa民族 )は 友好的でしたが、たぶん些細なことから いざこざが 起き始めたのでしょう、度々の事で、ついに 本格的な闘いになっていったそうですが、どちらも互角で 甲乙つけがたい。それで、両民族から、三つ子がそれぞれ 選ばれ、彼らの勝利が 即 民族の勝利、と決まりました。

古代ローマ側の三つ子達は Orazi オラツィ兄弟、Alba Longa 側は Curiaziクリアツィ兄弟。

Flora ( 歴史学者, 古代ローマ詩人 紀元後 2世紀 )より :

闘いの結果、Orazi 兄弟は 2人死亡、1人 生き残り。Curiazi兄弟は 3人 負傷。それで 生き残りが逃げ始めると、3人負傷が、追いかけていきます。3人は 別々に 生き残りに 追いつくのですが、 その度に 殺されました。そういうわけで、最後に、生き残り一人だけが、文字通り生き残ったのです。

この生き残った人の 妹( 又は姉 ? )が、嘆き始めました、というのは 彼女の婚約者が、負傷した後に 殺された Curiazi兄弟の1人だったからです。生き残った兄さんは、剣で妹を殺します。ここで 殺人の罪が 成立するのですが、Curiazi兄弟に勝った偉業は、殺人罪よりも価値があるとして 、罰せられませんでした。

Alba Longa族は負けて、ローマの支配下に置かれました。しかし 次のFidene (ローマ北部だが、環状線道路の中に 入る) との戦争で、Tullo王が Alba Longa 王に助力を頼んだ所、断られ (両者間で、協定がなされていたのだが、Alba Longa王は 破った )、あろうことか 、Alba Longa王は、敵の Fidene に味方をして、ローマと戦いました… ( 又は、Alba Longa は、ローマと同盟していて、共に戦ったとも、言われています) …..

最後に Tullo王率いるローマが勝ったのですが、Alba Longa 王に対して 憤懣(フンマン)やるかたない Tullo王は、Alba Longa王を2台の馬車にくくりつけ、別々の方向に馬車を走らせて、八つ裂きにしたと言われています。。。何だか 日本の 戦国時代の本を 読んでいるよう 。。。

Tullo王は、5年間 いろいろな闘いに明け暮れし、神への神聖な儀式を 怠ったというので、ペストが ローマを、襲ったのだそうです。王もペストにかかってしまい、天の神ゼウスに助けを懇願しました。ゼウスの返答は….雷 …を天からおとし、王と 王の館を焼いて、灰にしてしまったそうです…..

古代ローマ人は、神のこの恐ろしい罰を 目の辺りにして 震え上がり、次の王は Numa Pompilio 王のような 平和な政治を行える人、というので、Numa王の孫である Anco Marzio を、選びました。

Tullo王は 在位期間中、上院議員達の集会の建物 ( まあ 国会議事堂みたいなものですか….)を 建てました。残念ながら 紀元前52年の火事で、焼けてしまいましたが、場所は フォロ・ロマーノの中の 今もある元老院 ( Curia…これも国会議事堂みたいなものですが、Tullo王時代よりも 後に 造られました ) 近くにある、現在の La Chiesa dei Santi Luca e Martina ( 聖人ルカと 聖女マルティーナ教会 ) の地下辺りだっただろうと、言われています。

(続く)