ガイドはつらいよ(7時間観光) 2021年2月25日木曜日

個人のお客様と共に、1日長時間の歩け歩けコースもします。あの時は….. 多分お母さんと娘さんのお二人だったかな…..公共交通機関と徒歩、コースは、お二人から希望をあらかじめ言って頂いて、最終的に、私がコースを決めるというので、机上で大体の時間配分をしたのを持ってきて、さあー開始 !

* La Basilica di S. Giovanni in Laterano (サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂)。入るとやはり立派。奥行きだけでも130mもあり、パリのノートルダム大聖堂と同じ長さ ( あの大聖堂は 帰らぬ教会となりましたか…. 無念….)。

* 市電で、Trastevere 区域まで行こう…と計画をして、ガタゴトガタゴト….. 途中で、Colosseoや Circo Massimo を車窓で見ながら、しかし市電の乗り換えを間違えてしまった….. それに 市電も新型と旧型があるので、新型の市電で座っていけたらいいなぁと胸を膨らませたのだが…. 実際にやってみると、新型だったが、立ちんぼうでした、うまくいかないわ……

* Trastevere区域は、古代ローマの王制時代から、その当時の外国人達が住みつき ( エトルリア人とか、あとになってユダヤ人など )、ローマ帝国時代もにぎやかだった。その当時は、狭い道にバルコニーが張り出していて、道はゴチャゴチャ、荷車も通れず、迷路みたいだったそう。1500年代、河岸に貴族達のテラスや庭がある屋敷が並び、キョウチクトウやシトロンの木や実、オレンジ ( あの時代にオレンジが、あったのかって ? Borghese 美術館に、Bassanoが描いた “最後の晩さん” に、オレンジが中央にこれでもかという感じで、描かれてありましたね )、ぶどうの木が見られ、下方の枝が川のなかにつかっていたりしたそうだ。東京でいうと浅草みたいな界わいのこの区域。初夏から夏にかけては、ヨーロッパで最大の賑わいを見せる…… 夜店がTrastevere大通り沿いにズラーっと並び、数えきれないトラットリア、ピザ屋、bar、パブ……. がミニコンサートを開いたりして、情緒をかきたてていきます……..😭😩😭

*S. Maria in Trastevere 教会
は古く、たぶん最初に正式に開かれたキリスト教会とも言われているが、中に入ってまず目を引くのが、祭壇のモザイク画でしょう。12世紀といわれ、自分がモザイクをはめていくのなら、気が遠くなるに違いない、素晴らしい、修復されてはありますが、細部まで味わって見てください。

* 古い薬局
が、S. Maria della Scala教会にあり、皆様が一度は、のぞきたい薬局らしい。17世紀からですか、ローマ教皇お抱えの薬屋で、税金は無しにしてもらったという….. いずこも同じ秋の夕暮れ、ですか…….

*Raffaello のパン屋の娘
彼が愛した女性と言われたり、別の説があったりで、定説がない女性ながら、ここに住んでいたんだろうとも言われている家を見ながら(現在はレストラン)歩く。それにしても、国立古代美術館にある、この彼女をモデルにしたといわれる ” la Fornarina ” の絵は、ラファエロの筆さばき、素晴らしく細密です。

*Sisto橋
歩行者天国になっていて、1400年終わりに造られた橋で、イタリアのTVドラマに、よく使われます。皆様もいいアングルを見つけて、写真を撮ってみて下さい。

*Largo Argentina ラルゴ・アルジェンティーナ
紀元前の神殿の遺跡が並んでいます。低い場所にあるのですが、そこが2000年前の土地の高さで、テーベレ川の洪水で土砂が流れ込んできたり、地震や火事が起ったりで、中世の時代には、土地がもう私達が立っている現在の高さになっていたそうです

。。。。しかし7時間観光て、長いですね~~ガイドはフラフラだが ( あはは、冗談、冗談 )、お客様は….. まだ始めたばかりだというフレッシュさを見せています….. 。。。

*Gesù 教会
豪華な教会ですが、お昼休みがあるので、要注意。正面玄関は、ティボリの石のブロックで建築され、クリーム色がかった白っぽい感じが印象的ですが、中に入ると絵画などが目に飛び込んできて豪華。同じような造りの教会が、Romaには、多いです。まさに1600年代、Romaがヨーロッパで輝いていた結晶を見せてくれます。

*Pantheon
夕方Pantheonの内部に照明がついてから入ると、オオ~~ !!! と、神秘的な丸屋根内部が、目に飛び込んできます。Pantheon 前の広場の一角に、”太陽”という1500年代のホテルがあり、外装は、ほぼオリジナルを保っています。その当時ホテルの名前は、文字で書く他に、絵でも描いていたようで ( 読み書きができない人が多かったらしい )、そういう人にもわかるようにというので、絵で描いた動物などの名前のホテルも多かったそうだ。例えば、ホテル熊 ( Hotel Orso ) 等々。1400年代には、1000以上の宿屋があったといわれるRomaの街でした。観光客以外にも、巡礼者だとか、たくさんの人々が流れ込んでいた大都会だったようです。で…. 日本は…..? 宿屋の看板は、文字 ? 絵 ? 江戸時代になってからは、寺子屋が多かったので、その当時世界水準で、読み書きが出来る日本人が多かったと聞いていますが、1400年代終わり~ 1500年代は、どうだったんでしょう……

*Navona広場
もう私もヨロヨロになってきたので、私達の時代まで 幸運にも残ってきた、世界の4つの河の噴水を、静かに眺めましょう。

*la via Coronari(コロナーリ通り)
2000年前からの道筋で、いつの頃からか、骨とう品屋、美術品店、店等が並んでいる有名通り。別のお客様達と共に、この通りで、1700年代のワインの瓶の栓を探し回った記憶があります。どうだったかって ? 見つけたんですよ !!! テーブル上に、ゴチャゴチャ置いてあった小品のなかに、混ざってました。この時ではなかったが、クリスマス時期、夕方に又別のお客様達とこの通りに足を踏み入れたのですが、それぞれの店に、この時期につける照明が色とりどりで明かりを増し、通りの上にもキラキラ輝いているのが並び、不思議の国のアリスにまぎれ込んだような雰囲気でした。

*聖天使城
このお城は、古代ローマ帝国時代末期から、牢獄としても使われていき、囚人は、聖天使城から城の前の橋を渡り、反対側道路で、死刑になっていったそうで、渡っている最中に、気絶してしまった死刑囚もあったとか…… 道路沿いに並んでいる1500年代の建物の最上階はテラスになっていて、死刑見学もしていたという話しが残っています…..私達は逆に渡り、サン・ピエトロ大聖堂をバックにして写真を撮って、お別れとなりました。近くの、non stopの飲食店がズラリと並んでいるBorgo Pioをお教えして、又お会いしましょう、ですね !!

後日すぐに、ありがとうというお客様から送られてきたメイルを会社から見せていただいて、一安心。この方達は、長時間の歩きもなんのそので、ガイドになる資格、大ありです !!