イスラエルとパレスチナ 2021年5月20日木曜日

。。。私のひとりごと。この2つの国の闘いが、今回も又クローズアップされてきた…… 旧約聖書までさかのぼらないといけないのかな…..何がどうなってどうしたのか、もう一つよくわからない点があるんだけれど……日本にいた頃は、中近東なんて現実離れしていて ( しかしローマはそうでなかったので、このあたりの事もなんだかよくわかりません…..)、そしてこちらに来たら日々の生活に忙しく他のことに構っている時間もない….なんて思っていたら、今回のコロナ騒ぎで突然暇になってしまった……. ので、恥ずかしくも遅まきながら、何が起こったかを見る前に、まずはその舞台背景の勉強をしてみたいと思います。もうわかっている人は、今時まだこんな段階でうろうろしている人もいるのかと、笑って下さい。。。

パレスチナの領土は、1) ヨルダン川より西の地域… やがてイスラエルがあり、地中海が広がる。2)Gaza地帯が少し離れてあり、地中海に面して、イスラエルとエジプトを国境として小さく存在している。3)エルサレムの街が東西に分かれて、東エルサレムはパレスチナに所属し、西エルサレムはイスラエルに所属する。

パレスチナの事実上の首都は、Ramallah (エルサレムの街の少し北)と、Gaza。

イスラエルの首都はエルサレムではなく….. Trump 元大統領は、エルサレムにアメリカ大使館を移したが….. 国連は認めていず、Tel Aviv が首都になっている。

。。。イスラエルを、国の名前として 呼びますが、民族としてはイスラエル人とは呼ばず、ユダヤ人と呼ぶことにします。。。

19世紀に、世界で段々と民族運動が高まっていき、ユダヤ民族がパレスチナの自分達の地に戻りたいというシオニズム運動も盛んになり、世界に散っていたユダヤ人達がボチボチ帰り始めたので、それまでそこに住んでいたパレスチナ人との摩擦が始まった。

1920年からパレスチナ ( この場合のパレスチナは、現在のイスラエル+パレスチナ自治区+ヨルダン ) は、イギリスの委任政治下におかれ、1947年に国連で、パレスチナ分割決議が通り、1948年5月14日のイギリス委任政治の最後の日に、ユダヤ人によって、イスラエル国としての独立宣言がなされた。だから5月15日というのは、ユダヤ人にとって大切な日である。

パレスチナ

*自治政府… 1994年設立

*1996年、第1回総選挙でアラファト(政党はFatah ) が初代大統領になる。

* 2004年、アラファトが死亡

* 2005年 Abu Mazen(政党はFatah) がパレスチナ大統領になり任期は2009年に切れたが、任務はそのまま続いていて、ヨルダン川の西側の領土を占める。

*2006年、第2回総選挙でHamas が第1政党になる。

*2006年、Gaza 地帯で、FatahとHamasが闘い、HamasがGaza地帯の主導権を握った。

*2007年以降、分裂状態が続く。HamasはGaza地帯に、Fatahはヨルダン川西岸地帯に本拠地を設ける。

*2014年、分裂状態が緩和され、仮の統一政府が発足した。西岸地帯のパレスチナを、イスラエルを始めとして多くの国が承認した。Gaza地帯の勢力を支持するのは、イラン、シリア、スーダン。

*2015年に、国連本部前に、パレスチナの国旗がひるがえる。

Gaza地帯 :

*1948年~ 1967年… エジプトが支配する。

*1967年、”6日間の闘争” が起こる。アラブ人( エジプト,シリア,ヨルダン)対イスラエルの闘いで、イスラエルの勝利。

*1967年~ 2005年… イスラエルが支配。

*2004年~ 2005年にかけて、Sharon 首相(イスラエル)が、Gaza地帯と、西岸地帯の1部、からイスラエル住民を撤去させた。

* 2005年 、独立*ー> 上述している “パレスチナ” の2006年からの項目を読んで下さい。

エルサレムの街 :

*1947年の国連の区分だと、アラブ勢力の中で国際的な色分けになるはずだった。イスラエルはそのことに同意したが、アラブ側は拒否した。

*1948年のアラブとイスラエルの闘いによりエルサレムの街は2分される。西側に多くのユダヤ人が住み、イスラエルの支配下に入る。東の方は多くのアラブ人が住み、ヨルダン支配。西側に住んでいたアラブ人達は逃げ出さざるをえなくなるが、それは東側に住むユダヤ人達にとっても同じ事だった。

19年間、イスラエルが辛うじて、ヨルダン支配下の東エルサレムで維持出来たのは、Scopus山にある “エルサレムヘブライ大学”であった。東エルサレムにあるので飛び地にはなるが、イスラエルの支配下に属していた。

* 1967年の “6日間の闘い”で、イスラエルの勝利となり、西岸パレスチナはイスラエル支配下に、東エルサレムも周辺の村落も、同じくイスラエル下に入った。

* しかし国連はその事を認めず、イスラエルにすぐ撤退するようにと命じた。というのでそのまま現在まで、きている。

* 1980年、イスラエル議会はエルサレムが彼らの首都である事を宣言したが、国連は認めず。

2000年、” Sharon党首(その当時は、イスラエル議会で野党の党首をしていた)の散歩” と 呼ばれているが、人々をワっと驚かせる事をした。彼は多数の武器所持の人々に護衛されて、東エルサレムの旧市街にあるイスラム教徒にとっても神聖な場所の広場にやってきて、 「 エルサレムは全てイスラエルのものだ !」と叫んだのだ。議論が狂ったようにわき上がったのは、言うまでもない。

* 現在、東エルサレムには20万人のユダヤ人達が住み、彼らの住居作りは増加している傾向にある。* 東エルサレムには、旧市街が含まれていて イスラム教信者, キリスト教信者, ユダヤ教信者にとって、それぞれの聖地があるので、話がややこしくなっていく。

ユダヤ人にとって…..嘆きの壁がある。第2回目に建てられたエルサレムの神殿が、ティトス皇帝により破壊されたが、一部が幸いにも残っていて、嘆きの壁と呼ばれ、ユダヤ教信者の聖地中の聖地となっている。神殿を破壊したのはあのティトス皇帝で、RomaのForo Romanoにあるティトス皇帝の凱旋門は、まさにユダヤ民族に勝った記念として建てられた….

なんて、このような通りいっぺんの説明では、お客様の左耳から右耳に抜けておしまいか……もう少し意義深く、印象に残る説明を短時間にやるのには、どうしたらいいのかしらん…..イスラム教信者にとって…..この丘の頂上にある岩から、マホメットが昇天したと言われている。その岩の上に黄金の丸屋根のある記念堂が建っている。聖地中の聖地でしょう (the Dome of the Rock)

キリスト教信者にとって….. 聖書によると、イエスが最初に御公現を果たしたエルサレム神殿 、 と書いてあるので、まさにこの神殿 !! 聖墳墓(せいふんぼ)教会もここにあり、教会内にイエスのお墓、そしてゴルゴダの丘の十字架が打ち付けられた場所、があるという聖地中の聖地。。。。

日頃やりつけない事をすると疲れます、一夜付けの勉強で書いているので、もしかしたら間違った解釈があるかもしれません。イスラエルとパレスチナの、代表的な政治家達にも触れたかったが….. そしてまだ、肝心の今回の闘争の始まりにもたどり着けなかったわ……..というので、あとは。。。

(続く)

Italia – 5月17日に2回目の接種をした人 : 878万7150人 14,73% – 上述日までに1回目の接種をした人 : 1897万7897人 31,82%*合計、2776万5047人 46,55% のイタリア人が、1回目も完了者も含めて、5月17日までに接種した。(このうちワクチンの種類により、1回接種だけで完了した人は、25万7977人 )

Italia – その日だけの感染者… 死亡者… コロナ検査 :

5月15日… 6659人… 136人… 12万4063人

5月16日… 5753人… 93人… 20万2573人

5月17日… 3455人… 140人… 11万8924人

✴️とりあえず、感染者や死者の減少、ワクチン接種運動も40才代にかかろうかどうかという段階なので、制約も少しずつゆるんできている現在のItalia です。