そぞろ歩き(ユートピアを求めて) 2021年9月11日土曜日

Gino Strada ジーノ・ストラーダ

8月13日に、Gino Stradaが、73才で 亡くなりました。彼は、彼の奥さんと共に、1994年 *エマージェンシーEmergencyを設立し、外科医、活動家と、マア私が、ひとつの場所にジッとしていると言ってもいいくらいの間に、彼は世界の、それも危険な場所ばかり飛び回って医療活動をし、世界の主要の政府を非難もして、亡くなっていきました。

*エマージェンシーEmergency …. 国際的に認められた非政府組織。戦争や地雷の犠牲者の更生 回復をケアする、国際的な人道組織。1994年~2013年を例にすると、16ヶ国に渡り、600万人以上の人々に、無料の看護をしてきたのだそうです。

イタリア :全国に約160の支部があり、4000人のボランティアが、働いています。資金集めに、展示会、コンサート、講演会、議論会、観劇などを行います。毎年1回国内大会を開き、ボランティア新人の養成を行いながら、一般に無料で門戸を開け、先程述べた催し物も開きます。

日本 :2010年 12月21日に、* Ong Emergency Japan が設立され、Sasayama ( Hyougo-ken )に、支部が おかれました。

考えてみると、彼のことについて余り良く知らなかったので、触れてみることにします。

1948年の Milano生まれ。30才でミラノ国立大学を、医学・外科学で卒業し、更に、”緊急外科”部門を専攻したそうです。

彼自体は,無神論者 でしたが, “道端の司祭” と呼ばれる Andrea Gallo司祭とは、友人でした。

80年代に入り、4年間、彼は、アメリカ合衆国のStanford大学や Pittsburgh大学で、心臓移植や心臓ー肺移植と、経験を深めていきました。

そして次は、イギリスや南アフリカ、つまりHarefield 病院や、 Groote Schuur病院(Barnard教授の、初の心臓移植 1967年 )でも、引き続き仕事を行っていきました。

やがて段々と、*外傷外科(がいしょうげか)や、戦争で負傷した人の治療へと、向かっていきます。

*外傷外科…… 事故などで、重傷者が、救急病院に 運ばれてきた場合に、いろいろな負傷があるわけで、その中で、まず、どれを緊急として、最初に手術しないといけないのかを見きわめ、実行に移す 。

1988年に、彼は、緊急外科として今まで蓄えた知識、技術、経験、 を、戦争の負傷者に捧げようと決意します。

それから1994年まで、スイスの国際赤十字社に入り、パキスタン、エチオピア、タイ、アフガニスタン、ペルー、ジブチ、ソマリア、ボスニア等々……で、医者として働きました。

1994年に、奥さんの Teresa Sarti (2009年死亡。彼は近年に再婚した)や、同僚達、友人達と共に、エマージェンシーを、打ち立てます。この組織は、独立、中立の線を、守ります。

最初の彼の使命として、1994年に起こった大量殺戮(たいりょうさつりく)のあった、ルアンダに行き、最前線で働きます。それからカンボジア……何年間か、そこで働きます。

そして、1998年に、アフガニスタンにやってきて………翌年に、Anabah ( Panshir の谷)に、戦争負傷者の為の、外科センターを、開きました。彼は7年間滞在して、医療活動に従事しました。現在その国に、エマージェンシーは、3つの病院を建てています。

2005年に、スーダンに、アフリカで最初の、心臓外科 サラム病院を建築し、彼はそこで、働き始めます。反対者が言うのには、スーダンには基本的な総合病院がまず欠けているのだから、なんでそういうのを建築しないで、心臓病病院を、建てたりするのだ ?資金の無駄でもあるし、維持費だって大変じゃないか…… これに関しての、エマージェンシーの返答 は …… WHO 報告によると、2005年から、アジア アフリカでの幼児の最初の死因として、伝染病以外の病気としては、まず心臓病が、挙げられると、言っている。伝染病も含めてというと、一番多いのは、エイズ、そしてやはりこの心臓病が、二番目にくるということです。全世界に、関節、心臓、神経などに炎症を起こさせる病気が普及しているが、特に 4才~18才の、若い世代に多く見られ、治療としては、抗生物質を使用すればよく、先進国では、問題にならないだろうが、大部分のアジアやアフリカでは、資金がでてこない……

2014年に、彼は、シエラレオネにいきますが、そこでは、 エマージェンシーが、2001年からエボラ伝染病の為に、医療活動をしていました。

彼は、イタリアの、Massimo D’Alema ( 1998 – 2000 )首相から この前辞任した Giuseppe Conte首相に 至るまで、全部の首相を、非難してきました。彼らは、戦争を支持しているからだと、言うのです。特に、NATO(北大西洋条約機構)の、アフガニスタン介入を、非難してきました。イタリア憲法の11条に、違反していると、言っています。11条……イタリアは、他の国民の自由を抑える方法として、又、国際間の論争の解決の手段としての戦争を否認し……

◎ 彼の言葉 :

「 あのバカな奴らは、弱い者いじめをする。自分達より弱い者を見つけ出して、自分達がこうなったのも、全部この弱い者のせいだというのだ。自分達より強い者には、絶対に いかない。」

「 自分を平和主義者と、呼ばないでくれ。世界の人道主義者の中には、たくさんの、素人くさい平和主義者が多いのだから。」

「 私は、7年間アフガニスタンで、医療活動をした。その間、負傷者は増し、暴力沙汰は絶えず、国はというと、先の目処もたたない…. 退廃、買収が国を覆っていった。20年前に、この戦争は全員に破滅をもたらすに違いないだろうと言ったものだ。その結果は、今日、日を見るより明らかである。」

◎ Draghi 首相より:

「 彼は生涯 、弱者側に付いて、世界の危険な場所で、プロの精神を発揮し、勇気、人道主義 で、生きてきた。 奥さんのTeresaと共に設立したエマージェンシーは、まさに、彼の遺産であると思います。娘さんのCeciliaや家族、エマージェンシーで働く人々に、政府からお悔やみを、申し上げます。 」