そぞろ歩き(豪華列車の誕生)続き5
2021年11月9日火曜日

🔺️ il triangolo di Trapani 三角形のTrapani

シシリーの西部を、鉄道沿いに三角形に走ってみよう

コース…..
Palermo…..Salemi…..Gibellina…..Mazzara del Vallo…..Trapani…..Palermo
Palermo……

Salemi….Palermoから、約100kmで、このBorgoにやって来ます。海抜446mで、1万人位の住民がいますが、中世時代のアラブの雰囲気が残っていて、散策するのが楽しい…..しかしこの町も、いろいろな国に支配されてきましたから、1つだけの雰囲気で終わり、というわけではないので…..しばし、時を忘れてみましょう !

古代ローマ、ビザンチン、アラブ、ノルマン、フランス…….

アラブ支配下にあった時に、アラブから ここの農地に植えられたのが、オレンジ、レモン、桃、ビワ、アスパラガス、アーティチョーク、木綿、なす、サフラン、カーネーション、シナモン等だそうです。

イタリアは、長い間、ローマ教皇が権力を握っていましたが、1800年代に入って、イタリア人達が、教皇の支配なしの自分達の国をつくろうと、動き始めます。Garibaldiという人は、船乗りだったのですが、むしろ 戦争家 と言った方がいいかもしれない….1860年、彼がこのSalemiへやって来て、お城(ノルマン人が建築した)の上に、イタリアの三色国旗をひるがえさせ、1日だけですが、この町が、イタリアの首都になりました。

ですから、イタリア統一150年というので、2010年に、当時のイタリアの Napoletano ナポレターノ大統領が Salemiにやって来て、祝典をもうけました。実に、この地から、イタリア王国の 第一歩が始まったといえるようです。

Gibellina……. ここには、イタリアで一番 大きな野外博物館があります。

3856住民の 町ですが、1968年の1月14日~15日にかけて、マグニチュード 6,4 の大地震を記録し、しかも300回以上の 余震が、これでもか これでもかという感じで続いたと言われ、医者の手術中でも床が揺れて、看護婦として働いていた尼さんも、注意深くメスを渡しながらも、お祈りを唱えていたそうです。負傷者は切れ目もなく運ばれてきて、休む間もなく、手術が行われていったそう。正式には、死者231人、負傷者は600人以上と記録されていますが、これも確かな数字では、ないそうです。最初の揺れが来てから、皆、外に出ていたので、下敷きになったりとかの事故を、少しでも避けることが出来たそうと、言われています。

何年かの後に、新しいGibellina の町が 、地震のあった所から、10km位離れて造られました。そして 市長が、新しい町に活気を与える為に、建築家や芸術家を 呼んだそうです。

その中で、Alberto Burri 芸術家もやって来ました。そして、町の様子を見てみた所、他の芸術家達の作品で 埋まっていましたから、そこでは もうやることもないと思って、地震が起こり、廃墟として残っている、古い町に行ったところ、あまりの悲惨さに心を打たれ、泣きそうになり、すぐに アイデアが浮かんだそうで、何か出来ると感じたと、1995年にそこを訪問した時に、語っています。

Alberto Burri…..1915年生~1995年没。画家、彫刻家。

作品 ” il Grande Cretto ( とてつもない 大きな割れ目 )”
廃墟から、がれきを集めて圧縮しよう、どの道ほっておいても、問題として残るだけだろうから…..枠組みをしっかりとして、セメントでもって、白い巨大な割れ目を造り、こうして この出来事は、永遠に記憶されて残っていくだろう…..

各々の割れ目……………………..幅が 2m~3m
セメントのブロックの高さ….約1m60cm
総表面………………………………8万㎡

Mazara del Vallo ……5万人位の住民の街….. こんなイタリアの果てに、バロック様式の、一瞬、人がはい回っているのかと、ぎょっとするくらいに、よくもまあやったと思うわ、彫刻が壁にビッシリといろいろなポーズで、動き回っているのが、目に飛び込んでくるのだから…..( San Francesco 教会 )。ここから海を少し隔てると、アフリカが、アラブが あるんだと、納得させられる ような街の たたずまいです…..

Trapani…..Mazara del Valloと共に、シシリー島の 先っちょにある 街。6万5000人位だが、その内の5%位が、第3諸国人で、占められている。ルーマニア人が 圧倒的に多く 900人弱、チュニジア人が270人位、なんと中国人が120人位を占めているのも、印象的。後、モロッコ人、パキスタン人、ナイジェリア人、バングラディシュ人と、続いていく。

地中海を取り囲む、全ての国々からの影響や支配の結果、街を 独特の雰囲気にしている。中世時代、その当時のイタリアの代表的な港といえば、Genova、Pisa、Venezia、Amalfi だったのだが、 それらの港が 地中海に出帆するのに大変重要な港として、又 十字軍の拠点として、Trapaniの港は、栄えていった。

伝統工芸品として、さんご。マグロ漁業も 盛ん。旧市街を整え、飛行場にも近く、クルーズ船もゆったりと着岸できる。海がエメラルドグリーンなのは、シシリー島のどこをとっても同じ。

名物の アランチーナ (Romaでは、suppli スップリ…最後にアクセント。)ここでは、arancia(オレンジ)大に 握る コロッケライス。中に入れる具で、何百という種類が、あるとか…..

アランチーナを持って、透き通った海に、のんびりしに行こう !!!

Palermoに戻っていきます….エッ ? 、戻らないの ?! ……

( 終わり )