。。。Anco Marzio (アンコ・マルツィオ)
日本では アンクス・マルキウス でしょうか ? アンコ・マルキィオとも発音するみたいだし、というので、皆さん好きな名前で 呼んでください。。。
。。。半日観光ローマだけでは、この王様に触れる機会なんて、なかなかないのですが、ローマから 西へ37km 位 離れた、テーベレ川が 地中海に流れ込む所に、Fiumicino空港があって 、普通 皆さんが 飛行機から降りられる所ですが、その辺りに、昔 Ostia(オスティア) の港を 造ったのが、この王様と言われています。紀元前1世紀にもなってくると、 この港は “ローマの台所” とも呼ばれ、地中海沿岸の国々からいろいろな物資が届いて、とても賑やかで 活気に溢れた街になっていきました。今でも “Ostia antica ツアー” で、半日でもいいから 観光にいくと、その当時の賑わいが、手に取るようにわかって、大変 面白いと思います( 遺跡を見る時は、常に “現在と比べて” という観点から 見てみましょう) 。。。
アンコ マルツィオ
紀元前675年 生 - 紀元前616年 没 (59才 )
王位期間…紀元前 642年 - 616年 (33才~ 59才 )
おじいさん…2番目の古代ローマ王であるNuma Pompilio (ヌーマ ポンピリオ )
前の王 だった Tullo Ostilio 王は、戦闘的だったので、もうそんなのは嫌だというので、穏やかなAnco Marzio が王として 選ばれたようです。おじいさんみたいに 戦闘なしの政治をしてくれるだろうという期待が、込められていたようです。
しかしそうはいかず、 自分の領土を守る為に、古代ローマは Latina民族と 闘う羽目になり、勝利を収め、捕虜達を Aventino とValle Murcia (後年、 Circo Massimo の競技場が建設された場所 ) に落ち着かせたので、この人達が 最初の 、古代ローマの平民( plebe )になっていったと、言われています。
これらの戦争の結果、古代ローマの住人数が 増えていったので、古代ローマは 広がっていき、Aventino の丘も含まれ 、ジャニコロの丘も、そして 多分 Celio ( チェリオ ) の丘も含まれていったようです。
この王が やった事業というと…. :
▪︎ Sublicio(スブリーチョ)橋 の建設…. 木造で、テーベレ川にかけられ、トラステ-ベレーからこの橋を渡って坂道を降りていくと、すぐに Circo Massimo の競技場の場所に 着けました。この橋の遺跡は、何も残っていません。現在の Sublicio橋という名前がついている橋は、1900年代前半に建設された橋で、オリジナル橋よりも、もう少し下流に造られています。
古代の橋 というのは、簡単に取り外しができないといけないというので、木で造られたそうです。
古代では、橋( = ponte ) というのは 渡るだけではなく、国境と国境を結ぶという、 大切な役割を 果たしていました。川をはさんで、2つの土地がありますが、 橋が かかっていると、その橋の中央が国境というわけで、で 神官が お清めの 儀式を行なったりしました。ponteには聖なる という意味が含まれ、神官を ponteficeと呼ぶようになり、やがては ローマ教皇という意味になっていったようです。
神官が 橋の上で儀式を進め、死者の魂を弔い 不浄を心身から取り除く為に、わら人形を 川に投げ込んだりしました。
Trastevere 区域に、Gianicolo( ジャニコロ)の丘があり、元々 エトルリア人区域でしたが、アンコ マルツィオ王は、そこも 古代ローマの一部に してしまいました。ジャニコロから Trastevere に 降りてきて、スブリーチョ橋を渡り、古代ローマの町(パラティーノの丘やカンピドーリオの丘 )へ 入っていくようにしたのですが….
そうすると、エトルリア人の旅人が、ジャニコロ….Trastevere…..スブリ-チョ橋…..Circo Massimo の側面を歩いていくと そのまま 、未来の Appia Antica 街道の出発地点に着き、その道を 歩いて、ナポリ方面を目指して 消えていったりしたのだろうかと、思いをはせることも、できそうです……良かったら是非、 Circo Massimoを見下ろせる場所に行き、しばらくの間 たたずんでみて下さい…..
▪︎テーベレ川が 地中海に流れ込む所に、アンコ マルツィオ王は、ローマの初めての植民地 Ostia を 造りました、といっても、まばらに家が 散っていたような場所に過ぎなかったのですが、港を造ったというのが 重要でしたし、塩田を始めたのも この王だと言われています。その地から塩を運び始め、Ostia街道 ( 現在も Via Ostiense として健在です。ローマに ピラミッドがありますが、そこまで 続いていました ) を使い、又は テーベレ川を、小舟が 上がっていったりして( 牛達が 川沿いに ロープでもって 小舟を引いていった )、ローマまで塩が 運ばれていきました。塩は貴重だったので、兵士への給料も 塩が与えられていたくらいで、塩= sale から、salario= 給料、という言葉が 生まれたと、言われています…..日本の昔は、米でしたか……その他、ローマからの遠隔地では、古代ローマのお金も 通じなかったりするというので、銀の食器も 、給料がわりに 使われたようです。
アンコ マルツィオ王は、紀元前7世紀の人ですが、Ostia の地で、はっきり 記録が残っているのが、紀元前4世紀に、ローマ軍が造った Castrum です…..どこかの Postino で書いたと思いますが、石のブロックを積み上げて 、四角く壁を造り、その中に、駐屯所を設け、敵の襲撃に備えたという、あのCastrum を築き、それが段々、町の壁にと、利用されていきました。
紀元前1世紀には、商業の盛んな 港町として発展を遂げ、大きなお屋敷、店舗、食事する場所、倉庫などが、立ち並んでいきました。その後も 街へと拡大していくので、現在 私達は、大体 その辺りからの 遺跡を見て、当時の賑わいを 感じようという所でしょう。でも、昔のCastrumの壁も、残っています。
▪︎Foro Boario を造る…. 真実の口がある 教会の前の広場に 建物を立て、牛の売買等を行っていました。
▪︎ローマに残っている最古の 牢獄….Mamertino マメルティーノ牢獄 (Carcere Mamertino) を造ったのも、一応 この王と言われている。カンピドーリオの丘の下、Foro Romano にくっつくようにして現在もあり、中に入ると 冷たい石の冷気が 迫ってくるようで 、お腹を確実にこわすだろうと 思わせる所です。見学したい人は どうぞ、見られますよ。シーザーが、ガリア戦争で 勝利を収め、敵の王を 引っ張ってきて この牢獄の中で 餓死させたというのは 事実。伝説によると、サン・ピエトロや サン・パオロも、この中に入れられたといわれています。
とりあえず、この王は、ベッドの上で 自然死が 出来たようです …..疑問は どこにでも転がっていますが、あの当時 、人間は 50年も生きれば上等といわれた時代でしたから、、従って 王の在位期間は もっと短かったに違いないとすると、250年間の王政時代、7人というよりは、もう少し 他の王もいないと いけないはずだという 考え方もある…..ベッドの上で 亡くなったのは 2人、この王と 、彼のおじいさんである 第2番目の Numa Pompilio 王 だけで、あとは いろいろな死に方を せざるをえなかったようです。
(続く )
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